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パジェロとジムニーの追憶

俺はおこている。

正月休み以来JA11に乗れていないからだ。

まず、ひとりぷらっと出かけられる時間がない。

日常少人数で乗るのにも活用したいがコイツには後席シートベルトがない(知らなかった)。
ふたりで乗るならいいが、3女がまだ3歳なので保育園がない限り買い物に行く際は3人乗車となり、妻を狭い後席に押し込むことになる。

マンション暮らしなのに3台目として迎えたもんだから駐車場が若干遠くてなんとなく乗りに行く足が遠のく。。

つまり、一般リーマンに趣味車は分不相応だった。
買ったことを全く後悔していないが。
むしろ、そこにある(居る)だけで尊い、私のジムニー。

さて、実家を整理していたら出てきたアルバムの
この写真。たしか2000年秋のある日。

私は当時車好き小僧の高校1年。

実家のパジェロ(L149GW)はエスティマ(ACR40W)に乗り換える直前のお別れ記念の1枚だが、前に鎮座するのは、なんと祖父のJA11。
黒の3型サマーウィンド、MT。1993年に新車で購入し、父の実家に2019年まであったのだ。

震災時、流された私のインプレッサの代わりに借りて乗っていた時期があり、同僚宅へ支援物資を届ける際に流木を乗り越えたりしたっけ。

祖父亡き後、譲らずに乗っときゃな〜
どうして貴重なフルノーマル低走行車を
手放したかな〜という想いが今に通じたわけである。

又、乗れるもんなら、L型パジェロもまた乗りたい。
しかし、ジムニーやランクルと違ってタマも部品も困難だろう。

もう一度会いたい人やモノって割とあって、
会えていたり、手にしていたその時は尊さに案外気づいていないものだ。

それを言い訳に、部屋のいろんなものを断捨離できずにいる。

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