縫いたくてたまらない、縫わずにいられない、毎日何かを縫いたいこの感じ。運針がしたくてたまらない。この衝動は何なのでしょうか。前世はお針子だった?
母の帯 変わり織で鮮やかな花模様と金の箔が所々にあり、「締めたいけど汚い、でも捨てられない」1本です。 白い帯あるあるの「汚れ」が、しっかりと付いていました。 前帯、お太鼓の山、お太鼓の端、垂れ先、巻く部分の半幅におった折れ線などなど、大きい物で1センチ位。 きっとお気に入りで母の着物の中では活躍していたのが想像できました。 ここまで汚れていたらダメもとで、先ずは解いて洗ってみる。 縮むのは想定済みなので、汚れを優先して優しく押し洗いするも、取れる気配は無し。 石鹸
膨れ織の葉模様、グレーの道行。生地だけ見ると、おばあちゃんが選びそうですが、えりも袖の丸みも若い娘さんの様にまぁるく大きめです。 年配になって仕立てたと思われるのに、小柄な祖母が高齢になっても、可愛い物が好きだったのかと思うと、生きているうちにもっともっと着物の話をしたかったと思うのです。 さて、この道行、何とかしたいと思うこと二十数年。当然のごとく、身丈も袖丈も短めなので、私が着るにはちょっと… 道行から繰り回しの選択肢はかなり限られるそうで、まぁるい襟のかわいさ活かす方
90歳で亡くなるまで着物生活だった祖母の着物が、まだまだ私の手元にあります。 今日は身丈を伸ばした記録投稿。 この絞りの浴衣は身丈も短く、洗濯を繰り返してやわやわとなっていた物。外出に着るのは躊躇われるので、お家着物にしたり、寝巻きにしてみたり、と私なりに活かしていました。 そんな中、ここ最近、絞りの浴衣を目にする機会が多くなってきて「外にも着ていきたい!」と思うように。 そこで、身丈出しに挑戦です。和裁の先生からはザックリと仕組みは教えてもらっていたので、先ずは後ろ
母が遺した着物類の中に気になる反物がありました 高島屋の包装紙にクルクルと巻かれ、ボールペンで「おねえさんへ」と書かれた物 パッと見は濃いピンク 良く見ると縦糸が黒、緯糸がピンクで織られた紬 証紙には結城、紬とは書かれて、素材は毛と絹。マークなどは良く見る物とは違うと記憶していて、虫喰いも数箇所あったので大切に保管していたという訳ではありませんでした。 書かれた「おねえさん」とは商売をしていた家の6人兄弟の長男(父)の元へ嫁いで来た母のことです。 一番下の叔父は当時中学生
「遺された祖母、母の着物を何とか活かしたい」からはじまった着物。 昨年から施設に入った義理の父、退院見込みがない義理の母が二人で住んでいた家(ms)が現在空き家状態に。 少しずつ夫と不用品の片付けを始めた所、箪笥や押し入れから着物がたくさん出てきました。 想像以上の枚数に度肝を抜かれ、残念なことにカビが出ている物も何枚か(涙) 早めの救出が良いと思い義理の姉に話すと、「私は色留袖だけで良いから、あとは任せるわ〜」との返事。 先ずは色留袖だけは確保するという使命をうけ、
祖母は大正15年生まれ、90歳で亡くなったが、私が思い出す祖母はいつも着物を着ていた。美人3姉妹と言われていたようで、亡くなる数年前の写真ですら「美しい」と感じさせる。 祖母は十勝から出てきた祖父と結婚し、商売を切り盛りしながら6人の子供を設けた。商売は上手くいったようで、庭には蔵があり、奥に続く部屋、住み込みさんがいる棟など、断片的に覚えている。 その後、建物はビルになり祖父母は閑静な住宅地に引越し同居ではなくなったが、私が中学の頃から、一人暮らしになった(祖父が他界)祖