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ドライでもいい。(エッセイ)

まだまだ理解や勉強は足りないし、どうしても言いたくなってしてしまう事があるかもしれない。

だけど、もし、私がこの先、誰かの人生の選択を間近で見て、話を聞いてきたとして。

それが相手にとっていい事だったら『良かったね』と言うだけにしたいな〜なんて思っている。

反対に、相手にとって悩んだり悲しんだりしながらも出した答えがそれならば『なんで?』とか『そんなことで?』なんて言わず、ただただ『そうなんだ』とか『分かった』と、肯定出来る人になりたいし、尊重出来る人になりたい。

今まで生きてきた中、刷り込まれ、血液の様に流れ続けてきた価値観を、氷の様簡単に溶かす事は出来ないし、どうしても疑問や否定、反発は生まれてしまうかもしれない。

時には「それでいいの?」なんて訪ねてしまうかもしれない。
その人が、私にとって大切な人なら尚更…。

けれど、疑問には思っても、その人自身を否定はしたくない。

しないようになりたい。


最近の私は、どうしても『面倒くさいな』という気持ちが先行してしまう。
その『面倒くさいな』の中には『傷付きたくない』という自己防衛の気持ちが私には混じっていて、傷付きたくない=面倒くさいなのだ。

………何だか話が逸れてしまったが、私が今こんな風に思うようになったのは、何でなのだろうと自問するけれど、明らかなキッカケというものは浮かんでこない。

それでも今、改めてこんな事を自問自答する様になったのは、今になって読んだ『青のフラッグ』の影響がとっても大きい。

揺さぶられる。
私の考えも、価値感も。

読んでない方がいれば、お節介ながらもこの作品に触れてほしいと思う。

もしかしたら、私の考え方はドライかもしれないし、冷たい。なんて言われしまうかもしれない。

それでも、私のこうありたい。は、今、現状、こういう考えや思いなのだ。


また変化するかもしれない。

そんな、グラグラで筋の通っていない考え。


いつか、考えて、考えて、筋を自分なりに通せる時は、くる?………のだろうか?


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