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はなむけを………2073文字#シロクマ文芸部

走らない。
筆が。早く報告書を書かいて上へ提出しなければならないのに。まったく筆が走らない。あったことをそのまま書けば良いだけなのに。
筆が進まないのだ。

「なに悩んでいるんだ?雅成(まさなり)」

「報告書が書けない……っ。早くしないと逢魔が時になってしまう。早く家に帰らなければっ。」

「そうやって躍起になるから、余計書けなくなるんじゃないのか?」

「〜っ!今正論はいらないっ!!」

時は平安。まだ魔物と人との境が曖昧だった時代。俺は安倍 雅成(あべの まさなり)遠縁には、稀代の大陰陽師。安倍晴明が居る。けれど、直接会ったことも、話したこともない。

「……書けないんじゃなくて、書きたくないんじゃないのか?雅弘。」

さっきから俺と話しているのは、俺の式神である「青藍(せいらん)」。俺も安倍晴明にはとうに及ばないが、一端の陰陽師をしている。その陰陽業の報告書を書いているのだ。

「………………そう、かも…………、」

俺が書いている報告書は、最近あった悲しい出来事の報告書だ。
ある一人の女性が、想い人からもう会えないと言われた。それに心痛めた女性は食欲が無くなり、毎日起き上がることが出来なくなってしまう程に弱ってしまった。これを悲しく思ったその女性の両親が陰陽師に助けてほしいと頼み込んで来た為、それを引き受けたのが俺と、俺の直属の上司 時政(ときまさ)殿。俺達はご両親と一緒に屋敷に赴いた。

俺と時政殿は出来ることに最善を尽くしたものの、一向に女性の体調や気力は戻らない。
まるで、もう生きる事を諦めているかの様に俺には見えた。
そんな女性と俺がたまたま二人きりになった時、女性が静かに俺に話しかけてきた。

女性の名前は春子(はるこ)さんという方で、毎晩毎晩想い人を待ち続けていたそうだ。春子さんは針仕事が得意で、よく花の刺繍をしては、お付きの人に送ってた心優しい女性だった。

けれど、想い人は理由も話さず、春子さんに別れを告げた。言葉を選ばずに言えば、春子さんはその想い人に捨てられてしまったのだ。
春子さんが苦しみ悲しむのは、無理もない。

「私、あの方に嫌なら事をしてしまったのかしら…、」
春子さんが、そっと話す。
俺は少しでも春子さんに元気になってほしかった。

「春子さん。春子さんは、かような事、絶対にしていません。
想い人の身勝手な行動ですよ。
春子さんは、とてもお優しい方だって、お付きの方々は口を揃えて仰っていましたよ。俺は、春子さんのお付きの方の言葉を信じます。」

「うふふ、嬉しい。そう、思って貰えてて」

「お付きの方々は、春子さんが刺繍している姿が、とても好きだと言っていました。だから、春子さん。必ず元気になりましょうね。」

「……………そう、ですね。元気に、ならなくちゃ………」


けれど、春子さんとの会話は、この会話で最後になった。
彼女は、この会話から一週間後にこの世から旅立った。弔いには沢山の人々が訪れ、春子さんが愛されていた事が痛い程よくわかった。

「なあ、雅成」

「何?青藍」

「あの女性、皆に言ってなかった事があったの、知ってるか?」

「えっ………?何それ……」

「恐らく、本人も半信半疑で、周りに言うに言えなかっただけかもしれないが」

「なに?教えてよっ!」

「彼女の腹には、子が宿っていた。けれど、女性特有の月のものが、あまり周期的にきちんと来る方では無かったから、確信を持てずにいたんだろう。だから、お前達を本人が呼ぶこともなかった」

陰陽師は、この時代、現代で言う医者の仕事も行っていた。
まさか………、でも、妊産していれば、脈で分かる筈なのに……。

「…………お前達がみたときは、彼女の体も弱っていて、脈も正常ではなかっただろう。お前達が気付くことが出来ないのは当たり前だ。本人だって、半信半疑だったのだから」

「………………………っ、っ」

悲しくて、涙を流すなんて俺はまだまだ弱い。どんな状況でも冷静で確実に実績を残す安倍晴明の遠縁だなんて笑わせる。
でも、春子さんの事を思うと、涙が溢れてしまうのだ。

「…………ちゃんと上っていけるように、ご祈祷しなくちゃ……、春子さんと、お腹の中に宿っていた子。二人分……」

「………そうだな……」

そういうと、俺は報告書を書いていた筆を止め、その机を端に避け、祈祷する準備を始めた。盛大には出来ないけれど、静かに、和やかに、厳かに……。

「青藍は凄いね。色々分かって……」

「全て分かる事は、良いことじゃない。俺にその気がなくても、伝わってくるっていうのは、なかなか厳しい時もある。…………今もな………」

「……そうだよね…………」

俺と青藍だけの、静かな祈祷。
響くのは、俺の声だけ。周りは静寂に包まれ、俺の声だけが周りに溶けては消えていく。

祈祷の声にのせながら、自分の声に思いを込める。願いを込める。

どうか幸せであるように。
どうか心穏やかであるように。

餞になるように………。


平安時代、という物語を綴りましたが、
もしかしたら違っていたりするかもしれません。どうか、温かい目でスルーして頂けると幸いです。
ここまで読んで下さりありがとうございました。





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