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《ニーバーの祈り》とACの私

【ピエロの手記62  断章50】

《神よ、変えることのできないものを
   静穏に受け入れる力を与えてください。
 変えるべきものを変える勇気を、そして、
   変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい》
     ーーニーバーの祈り
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この祈りを読むと襟を正す
真理とはこういうことだと思う
この祈りに私は帰依している
    
   「いとうさん
    ほら あなたのお母さんもご病気だったでしょ
    だからあなたの病気も生来の遺伝的なものなのですよね
    お母さんのネグレクトも病気のなせるところだったのですよ
    ADにあなたが苦しんだのはよく分かります
   でも お母さんの病いは篤く気の毒な人だったのだと
    許してあげられると少しは楽になると思いますよ
    お薬は 気の毒ですがずっと飲んでくださいね」
    精神科のドクターは慰めるような口ぶりだった

そりゃ子どものころは親を憎んでいた
でも20代も終わるころには
母親も時代の犠牲者であって気の毒な人だと
憎む気持ちはさらさらなくなっていた でも

(その子の心の井戸はつねに冷たい空虚をいだき、
 そして何かに渇いている。それは、その子に恵まれていない
 愛の泉であった。            ーーー吉川英治)

私のADは、私の病いは、ドクターの言うように宿命なのか
避けることも変えることもできない運命的なものなのか
医学的にはそうなのかもしれない
しかし 私は肯定しない
私は自分の魂の主体性でもって宿命論に対峙する
纏ってきたACの衣は脱ぎ捨てる

ニーバーの祈りに立ち戻ってみよう
宿命を ❛変えられるもの❜ として闘いを始める
ニーバーの祈りに私は帰依している


     ‟悲しいピエロ”


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