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検事、早朝から仕事、するように家事したら家族から感謝されて家計も潤った(その1)

うちは今や珍しくもなんともない共働き家庭です。
子どもたちがまだ幼い頃は、統計データどおり、あらゆる点で、明らかに妻の負担が大きかった。
でも、それではいかんと改心した私は、いつからか家事の多くを担うようになりました。
そしていつしか私は気づいたのです。
まるで外で仕事をするように家事をしている自分に。
言い換えれば、家事で使っている脳は仕事で使っている脳と実は同じなんじゃないか?と気づいた、ということです。
だから、もしあなたが外に出て現に仕事ができているなら、過去に仕事ができていたのなら、うちで家事もできます。
しかも、外での仕事の多くには、他律的な、自分のコントロールの及ばないことが必ずあるものです。
それは、よく言われる精神的「ストレス」の大きな要因となります。
しかし、家事にはそれがほとんどありません。
というのも、私がしている家事は早朝黙々と独りでするものだからです(なので、何の事前告知もなく家族に早起きされるときは例外ですが)。
すべて自分ひとりで支配できます。
それは精神的ストレスがほとんどないこと、ネガティブな心理状態になることがほとんどないことを意味します。
思うにこれは、家事を「継続」する上でとても重要なことです。
もとより家事にも肉体的「ストレス」、疲労はあります。
しかし、スポーツ競技の多くが男女別であるように、ここには合理的性差があるでしょう。
一般的には、生物学的な意味での女性より男性のほうに体力がある。
だから、一般的には、体力のある男性が家事を担うのが理にかなっている(もちろん例外はあるでしょうし、パートナーシップのあり方も多様なので、それぞれにとって理にかなうかたちがあるでしょう。)。
体力面以外に目を向けると、確かに、たとえば料理には、知識と技術が必要ですし、向き不向きもあるかもしれません。
しかし、それとて仕事と同じです。
誰もが最初は何の知識も技能も持ち合わせていないビギナーです。
でも、学び、実践し、経験を積むことによって、仕事ができるようになるじゃないですか。
そういう経験をしたことがあるなら、また、現にしているなら、家事もできるはずです。
向いていれば適応が早いですが、向いていないからと言って、できないわけじゃない。
適応に時間がかかるだけで、ちゃんとできるようになる、大器晩成型ということだってありますから。
それも仕事と同じです。
また、確かに仕事には、給与や報酬という、重要な見返りがありますが、一見すると家事にはそれと同等の見返りはなさそうです。
家事は「無償奉仕」なんて言われたりもしますから。
しかし、それは違います。
大いなる誤解であり、大まちがいです。
家事には仕事以上に大きな見返りがあります。
それは、家族からの感謝と信頼と妻の稼ぎです。
これは、外で仕事をしているだけでは得られないものです。
いくら外で頑張っていても、「オレのおかげで家族は食っていけるんだ!」なんて言ってみても、残念ながら家族には見えないし実感も乏しい。
共働きならなおさら、「オレのおかげ…」は何の説得力もない。
でも家事は違います。
言うまでもなく、家族の生活に直結しています。
家族の五感に訴えます。
皆が実感します。
しかも外で仕事して稼いでもいるのです。
「すごい」「ありがとう」とならないわけがない。
その上家事から解放された妻は、イキイキと外で働き、能力を最大限発揮して成果を上げる。
当然妻の稼ぎも増える。
良いことはまだまだあります。
私自身の心理的欲求が満たされる。
つまり、家事をすることが、心のエネルギー、やる気やモチベーションの源になるわけです。
私の心が求めてやまないのは、仕事に取り組む姿勢を認めてもらうこと若しくは自分で認めること、又は、自分の信念・価値観が正しいと確信することです。
自分にとって価値ある家族のために献身し、その快適な生活に貢献して、家族から認められ、信頼を得て、紛れもなくなくてはならない存在になるわけですから、満たされないはずがない。
また、私の心は、仕事の能力・手法・成果を認めてもらうこと若しくは自分で認めること、又は、物事が計画どおり、時間どおりに進み、終えられることも求めています。
家事は自分で段取りが決められ、工夫を凝らして合理化・効率化を図ることができ、衣食住が整うという明確な成果も得られる。
私は、日々仕事に、職務に従事することによって心のエネルギーが満たされる(ことがある)わけですが、実は家事に従事することによっても、同じように心のエネルギーを満たせるのです。
でも、仕事ではいつも満たされるわけではありません。
ご存知のとおり、満たされないどころか、減ることだってある。
しかし、家事は、他人に左右されることなく、仕事よりむしろ安定的にそれを満たせるのです。
何せ誰にも邪魔されず、完全に自分のコントロール下にあるわけですから。
私は、家事をすることによって心のエネルギーが満たされる、それに気づいてしまったから、家事をするのに「やる気」は必要ありません。
やる気が必要なのは、それをすることによって心のエネルギーを「消費」するときです。
しかも、仕事でしているように、作業をルーティン化、パターン化するまでには相応の負担がありますが、パターン化してしまえば、「考える」という脳への負担は確実に減ります。
家事を合理的かつ効率的にこなすための視点や工夫は、外での仕事にも活かされます。
このように、私が家事に従事することは、何より私にとってよいことだらけなのです。
しかも家族のためになる。
家族から感謝され、信頼され、必要とされ、パートナーの稼ぎが増えて家計まで潤う。
これは大変喜ばしいことではないですか?
だからみなさん、家事をやりましょう。

ということで、ここからは、私がどんなふうに家事をこなしているか、ご紹介します。

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