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一杯の珈琲

今日は小春日和のさんぽ日和でした。

前日には桜見れるかなと期待してたものの、
まあ、咲いてない。

待ち合わせ場所まで30分ほどかけて歩き、
開花はゼロ。気が早すぎました。

そんな今日は
4ヶ月ぶりに会う友人とのランチ。

お互い珈琲が好きで、ランチが目的というより、ランチからの蚤の市での珈琲目的とでも言うのかな。

そんな一杯の珈琲を楽しみに、
罪悪感なく食べることを望んで、
待ち合わせ場所まで歩いて行きました。

そして待ち望んだワンプレートランチ。
美味しかった。
生姜と和風だしで炊いた風なごはん。
ただただ美味しかった。
しあわせを噛み締めました。

そこで聞いた、前回会ってから今日会うまでの友人の大変だった話。
聞いたことない難病の病名。
大変だっただろうなと聞いて想像するだけでもそう思うのに、ましてや本人はいかに大変だったか。
ますますご飯の美味しさが身に沁みて。
ただただそこにあるしあわせを噛み締めました。

食べてからはそのお店の物販を拝見。
きれいな藍染の洋服が売ってありました。

声が聞こえるなとテラスを見ると、お茶してる方の姿が。

その方の手。
深くくすみのある色に染まった手。
藍染をしている人の手。
職人さんの手でした。

商品を目にしたあと、その商品を生み出した方を拝見し、シンプルだけど、こんな世界もあるんだなと。

きっとその方には届かないけど、なんせ買わなかったから言ったところでなんだけど、
洋服、本当に本当にきれいな藍色でした。

食べてからは歩いて近くの蚤の市へ。
アンティークショップがいくつも立ち並び、
各々好きに見回ってからの
さぁいざ珈琲☕

珈琲を販売していたお店は2店舗。

どっちするー?て聞いたら
即決でお客さんの少ない方を選んだ友人。

ベンチで飲む珈琲は
そりゃもう絶品。

まったり過ごす時間の珈琲は
そりゃもう絶品。

しあわせ。

珈琲の香りで顔はほころび、
味わいでホッと一息。

人をしあわせにする仕事ってすごいよね。
たかが一杯の珈琲、されど一杯の珈琲。

ごちそうさまでした。

それからすぐ横の蔦屋で各々好きな本を見て歩き、そこから歩いて30〜40分かけて唐招提寺へ。

唐招提寺金堂正面より

たまたまガイドさん付ツアー御一行さんがおられ、しれっと混ざって説明を聞きました。

入館料1,000円高いけど、説明聞くと払う価値あったと思います。

お堂の前に立つと、
ひんやりとしたお堂内の冷気と木の匂いが。

千手観音の手、953本(なんかそんくらいの数)らしい。
千本ないのね。
一つ一つの手に様々なツールを携え、その姿はあらゆる人を救ってくれる姿を表しているそう。

そんな唐招提寺の境内に
ありました!

桜!

しかも満開。たった一本。

春だ。


唐招提寺をあとにし、薬師寺を横目に帰宅。
とてもよく歩いた1日でした。

そして、いっぱいノックされた1日でした。

日々が業務かのように流れ、そこに無理やり沿わすように暮らしが存在していて、自分の心をノックするようなことはまあない。

いや、気づくことがまあない。
気づかないふりをしてるかもしれない。

今日のように気の赴くままの時間を過ごすと、自分の心がノックされるのを幾度となく感じる。

いつもの珈琲は、
自分でいれる珈琲はたぶん業務の一つ。

でも入れてもらった珈琲は、
お金を払って飲む珈琲は特別な一杯。

ルーチンな日々を少しずつ変えられたら、
特別な一日は生まれるのだろうか。

その情熱はわたしにあるのだろうか。
ちょっと…楽しみ。


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