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北京滞在記③〜愛車に乗って〜

北京での生活の中で、異文化や食習慣、生活習慣の違いや中国の人とのやり取りを楽しんで過ごしていた。そして、北京に来て程なくして「中国といえば自転車」ということで、私は夫と共に自転車を買いに出掛け、天安門広場から南に続く前門大街の自転車屋さんで、GIANTというそれなりに良いメーカーの自転車を購入した。

私の北京での愛車である。

日本では、田舎暮らしだったので、車がなければ生活出来ないような所だった為、ちょっとそこまでの買い物も車で行っていた。だから自転車に乗るなんて高校の通学以来だっただろうか…。

愛車を購入した前門大街から、住んでいた北四環路のアジア村まではそこそこ距離があったが(二十キロはあっただろう)、まずはその距離を自転車で帰らなければならず、それが北京での初サイクリングだった。

北京の通りには、車道とは別に自転車専用道路があり、道幅もたっぷり広いので快適に走る事が出来た。あの道の広さを見ても「やっぱり中国は国土が広大なんだな…」と実感させられた。

タクシーの車窓から眺める北京の風景も趣きがあったが、自転車で北京の街を走っていると、「今は、いつもタクシーの車窓から見ている風景の中にいる」という実感があって、生の北京(庶民生活)に一歩近付けた気がしてわくわくした。

それからは、私は地球村(北京語言大学敷地内の語学スクール)への通学をはじめ、ちょっとした外出はもっぱら自転車で出掛ける日々を楽しんでいた。

語学スクールの帰りに、まっすぐアジア村に帰宅(北四環路を東へ直進)せず、西三環路を南下して珍しい食材探しや、古びた本屋を見つけては当時習い始めた水墨画の本を探してみたり、お茶屋さんを見つけてはふらっと立ち寄ったり…。

今から思えば、すごい距離を自転車で移動していたと思う。日本にいる時とは距離感覚が全く違って、北京ではすごい距離を自転車で移動している実感が薄かった。相対的に大した距離に感じさせないパワーが北京の街にはあった。

田舎の小さな集落で生まれ育った私にとって、しきたりや世間体の中の窮屈な世界とは対局にある北京の街がすごく居心地が良かった。また、車で目的地まで一直線に到着するのとは違って、わざわざタクシーを降りてまでは立ち寄らないであろう道中の様々な物に出会える事も魅力的だった。

そんな生活を送りつつ、ある時参加した奥様会(日本人駐在員の奥様方の集まり)で新しく北京に赴任して来られたばかりの奥さんに声を掛けられた。そのNさんという奥さん曰く、会社主催の「奥様渡航前研修」の講師から、「現地で自転車に乗るなんてとんでもない!」と聞いていたので、中国で自転車に乗りたいけど無理だと諦めていた、と。でも、「自転車に乗ってる現地密着型の奥さん(←私の事)がいるよ」と聞いてすごく嬉しくて…との事。こんな風に人の輪が広がっていくんだな、気が進まないながらも奥様会にきちんと参加していて良かった!と感じた瞬間だった。
「私も早速自転車買いに行きます!」
と目をキラキラさせて言った彼女は、その後、私の自転車仲間となった。

Nさんは、私の紹介で地球村にも通学を始め、一緒に自転車で通学したり、三里屯という大使館街の近くにあるオープンカフェ街までサイクリングし、そこでよくお茶をした。

春の黄砂の時期は強風と共に顔が痛くなるほどの砂が飛び交っているので、顔全体をスカーフで覆ってサングラスをして…仮面ライダーさながらの出で立ちで自転車に乗る中国人の方(猛者)もいたり、5月には柳の木の綿毛がまるで雪が振っているのかと思うほど北京の街に漂っているので、それが目や鼻に入らないように、これまた仮面ライダーの出で立ちで自転車に乗る人々など…北京ならではの風景も楽しみつつ…私達日本人も日本とは違う、大陸の荒々しい気候や季節を出来る範囲で楽しんでサイクリングをした。

今から思えば、まだ子供がいなかった頃だったから出来たことだな…としみじみ思う。自転車で出かけて、道端で売っていたお焼きや焼き芋やサンザシ飴を買って食べたり…ふと目についた雑貨屋さんに立ち寄ってみたり…。もしかしたら、奥様会で高級中華を食べて子供の学校の事やお勧めのお店やエステなどの情報交換をしていた奥さん達も、自転車に乗ってもっと生の中国を感じたいと思ってはいても、出来なかったのかもしれないな…と、今になってみれば、そう思う。現に私も、子供を生んで北京に戻った後は、愛車のGIANTはベランダで土埃をかぶっていた。

そんな私も今年で五十の大台にのる。子供達の巣立ちや独立が迫ってきた今日この頃、このエッセイを書いている事で、またあの頃の自分と同じように、肩書きや国籍やしがらみや世間体に縛られない、あんな世界に戻ってみたいなぁ…と、沸々と若い頃の欲望が再燃している。