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富安陽子『かくれ山の冒険』読書感想

小2の頃に読んで、衝撃を受けた作品。

この作品に出会ってから、読書にはまったと言っても過言ではありません。

小学校時代は、富安陽子さんの本ばかり読み漁っていましたね。児童文学作家さんなのですが、大人になった今でもたまに読み返しています。

今回は、そんな『かくれ山の冒険』の感想を書いてみようと思います。



作品紹介

いまどき「神かくしにあった」などという人は、まずいないでしょうが、迷子になったり、急にお母さんの姿を見失ったとき、心細さも手伝って、見なれた風景が、まるで見知らぬ世界のように思えたことはありませんか——いつものようで、いつもと違う……それが異界なのです。

この物語は、雑木林のなかにドッジボールを探しに入った男の子「尚(なお)」が、かくれ山という異界によびこまれ、必死で出口を探すという冒険ストーリーです。

かくれ山の猫屋敷には、尚と同じように異界によびこまれ、猫婦人に姿を猫にかえられた子どもたちがとらわれていました。猫屋敷から逃げ出した尚は、友だちになった野ネズミに、山姥なら出かたを知っていることを教えられます。知恵と勇気をふりしぼり、天狗の隠れ蓑をかりて山姥に方法を聞いた尚は、鬼の雷の剣をぬすんで……。

「あっ! 」と驚く結末の、勇気と友情の素晴しさを教えてくれる感動の一冊です。


こんな人におすすめ

◯小学校低〜中学年
◯児童文学が好きな人
◯冒険・ファンタジーものが好きな人


感想(※以下ネタバレを含みます)



冷静な尚

神隠しにあった尚が、最初にとった行動がこちら。

心細くなった尚は、大声でなきだしたくなりました。でもすぐに、ぐっとなみだをのみこみました。なきさけんでも、なにもうまくいかないことを尚はよく知っていたのです。

なにげに凄くないですか?

小学生の頃に読んだ時は、「私だったら泣くなあ」と思いました笑

尚は自身のことを、「勇敢じゃないし、ドッジボールもにがてだし、逆上がりだってたまにしかできない」と卑下していますが、全然そんなことないですよね。

むしろ、この歳で自分の弱みを受け容れられるって凄いことだと思います。達観しているというか。

私は、大人になってからもなかなかそれができずにいました。自分の弱みや嫌な部分をずっと否定して生きていたんですよね。

「何でこんなこともできないんだろう」「何でこんなに卑屈なんだろう」

そんなことを思ってはまた落ち込んで……完全に負のループでした。

でも歳を重ねるにつれて、徐々に「こんな自分でもいいやん」と思えるようになってきたんですよね。

だからと言っては何ですが、素直に自分の弱みを受け容れている尚が少し羨ましく思えました。


コミカルなやりとり

登場人物たちのやりとりが、これまた微笑ましいんですよね。

「木をつたっておもてに出ればいいわ」

「ぼく、木登りは得意じゃないんだ」

「だれがのぼれっていったの?下へおりるのよ」

「あいつをやっつければ、もちろん呪いだって解けるさ。そうすれば、きみも、猫にかえられた子どもたちも家へ帰れる。だから、がんばってくれよ」

「…いや、でも、ぼくはぁ、つまり、逆上がりもへただし…」

「サカアガリ…?そりゃ、いったい、なんだ?」

子供の頃は笑いながら読んでいました。

登場人物それぞれのキャラクターが際立っていて、面白いですよね。

私は台詞からその人物の性格や生い立ちなんかを想像するのが好きで、よく1人であれこれ考えています。

例えば、とき子の「だれがのぼれっていったの?下へおりるのよ」という台詞。

いかにも気が強そうですよね。学校でやんちゃな男の子を言い負かしている姿が目に浮かびます。

どことなく上から目線な印象もあり、

「だとしたら長女かな?」
「いや、大人びているという点では兄か姉がいるかもしれない」
「いるとしたら姉っぽいな」

……とこんな風に妄想が止まらなくなるんですよね。

まあ、正解なんてないんですけど笑

そういった面でも、楽しみながら読み進めていくことができました。


推し

私の推しはズバリ天狗です。

「あいつは、あんまりりこうじゃない」なんて言われていましたけど、それ故素直で可愛いんですよね。

尚の嘘を信じ込んで、「スバラシイ!」と飛び上がる姿はもう子供みたいでした。結局、二度も同じ手にはまって隠れ蓑を取られてしまいます。

そんな天狗に、ネズミが一言。

「あいつも、よくないんだよ。すぐ、ひとのものをうらやましがって、欲張るからね。ちっとは、いい薬になっただろうさ」

なんだか教訓めいた台詞ですよね。これって色んなことに当てはまると思うんです。

今回は隠れ蓑という物質的な物でしたが、「お金」とか「権力」とか「愛」に対しても同じことが言えますよね。欲張りすぎていいことなんかほとんどありません。

それでいうと、猫夫人は「食べる」ことに欲張り過ぎたんですね。

かくれ山という時の流れが止まった空間では、「食」が必要ありません。にも関わらず「食欲」のとりこになった猫夫人は、滅亡の一途を辿ることになった訳です。

しかし、ついつい色んな欲が湧いてくるのが人間……適度であればモチベーションにもなりそうですが、欲張りすぎには気をつけたいですね。


とき子とお母さん

とってもいい結末でしたね。
伏線もきれいに回収されて、爽やかな読了感でした。

最後のやりとりも粋でしたよね。

「ねえ、…お母さんは、お母さんになって、よかったと思う?」

「おかえり、尚。お母さんは、お母さんになって、とってもよかったと思うわ。だって、あなたにあえたんだもの」

個人的に、こういった奥行きのある終わり方はドストライクです。富安陽子さんの作品は、じんわりと余韻を味わえるものが多いんですよね。

また、他の作品も読み直してみたくなりました。

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