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萩耿介『イモータル』読書感想


父に借りて読んでみた作品。

物語というよりは、哲学書みたいな印象。

最初は読みづらかったのですが、何度か再読しているうちにストンと心に落ちるものがありました。



作品紹介


イントで消息を絶った見が残した「智慧の書」

不思議な力を放つその書に導かれ、降は自らもインドへと旅立った…

ウパニシヤッドからショーぺンハウアー、そして現代へ。

ムガル帝国の皇子や革命期フランスの学者が時空を超えて結実させた哲学の神髄に迫る、壮大な物語。「不滅の書」を改題。


こんな人におすすめ


○哲学関連の話が好きな人
○歴史が好きな人
○壮大な物語に触れたい人





感想(※以下ネタバレを含みます)



梵我一如


ここも舞台だ。現れては消え、消えてはまた現れる。ブラフマン。普遍の原理。インドの知恵とはこういうことがもしれない。登場と退場を盛め、割察すること。登場と退場に執着せず、あり続ける舞台をこそ見つめること。

まず、梵我一如という言葉の意味を初めて知りました。聞いたことはあったんですけど、その内容までは踏み込んだことがなかったんですよね。

簡単にいうと、「宇宙の最高原理である梵(ブラフマン)と個人の中心の我(アートマン)は同じものである」ということ。

つまり、「宇宙の本質」「自分の本質」が同じであるということです。

最初読んだ時は、「は?」という感じでした。
色々調べてみて一番しっくりきたのは、土を例にした考え方です。

この宇宙全体を土だとすると、土から粘土が作られ、粘土からお皿やコップ(個人)などが作られます。

しかし、お皿やコップといったものは一時的な形でしかなく、本質は土です。食器はいずれ割れ、土に戻っていきます。

つまり「物(自分)の本質」「土(宇宙)の本質」と同じということ。

こう考えると、少しわかりやすくありませんか?

そういった考え方を深く理解することで、様々な葛藤を克服できるというヤージュニャヴァルキアの思想らしいです。

少し話はそれますが、ヤージュニャヴァルキアは古代インドの哲人で、「“私”というものは存在しない」と主張しました。

私たちが“私”と思っているものはただの肉体であり、その意識現象を認識しているものこそが“私”ということです。

そして意識現象を認識しているものが“私”であるなら、意識現象を認識していることを認識しなければいけなくなるめ、“私”は存在し得ないとのこと。

ちょっと何言ってるか分かりませんよね。

簡単にいうと、幽体離脱して自分自身を眺めているようなものが“私”
肉体に起こった意識現象(暑い、寒い、楽しい、苦しい等)を認識しているものこそが“私”なんですね

私たちは“私”でないものを“私”と思い込んで、悩んだり葛藤したりしているとのこと。
この考え方を理解して、「何事も客観的に見ることで人生は楽になるよ」という思想なんですね。

この思想には、ハッとさせられるものがありました。
確かにこういう考え方をすると、気楽に人生が送れるような気がしたんです。

現に、なにか辛いことがあったり悩んだりした時には、幽体離脱した自分を想像するようになりました。そうすると、ちょっと心が楽になるんですよね。

この思想の根底である「梵我一如」は、やっぱり奥深いなあと思いました。


この世以上のもの


本を読みたい。絵に触れたい。この世のことより、この世以上のものを求めていたい。

神に向かえば向かうほどこの世から離れ、いざこの世に心を向けようとしてもうまくいかなくなる。反対にこの世のことを考えてしまうと、神に心を向けようとしてもうまくいかない。

ムガル帝国の皇子ダーラー・シコーの心情が、こんな風に綴られていましたね。

この感覚、すごく分かるような気がしました。

私も、現実世界から離れたものがすごく好きなんですよね。
本だったり、漫画だったり、アニメだったり・・・

そしてその中で起こった出来事に感情移入して、いっとき戻ってこられなくなる時があります。

その反対も然り。現実世界で思い悩んでいることが多いと、作品に浸ることができません。

一緒の感覚の人がいるんだなあと思うと、とても嬉しかったです。


印象に残った言葉


「手放しちゃだめよ」
「もちろんです」
「本じゃないわ。あなたの憧れよ」

星が出ていた。青く、黒い、群青の夜空に満天の星が輝いていた。空は闇に隠れ、星は闇の中から立ち現れる。光は光を求め、触れ合えばさらに白く燃える。尽きることのない光の乱舞。限りない天のざわめき。そうだ。この空はシコーが見上げた空だ。自分は今、そこに同化し、その神秘を浴びている。


このシーン、とても印象に残りました。
なんだか、許されたような気持ちになったんですよね。

よく、「現実を見ろ」とか「綺麗事を言うな」とかそういう言葉を耳にします。

確かにその通りです。私たちは現実世界と向き合って、折り合いをつけながら生きていかなければなりません。

しかし、それだけが人生ではないと思うんですよね。

「憧れ」とか「夢」を一生追いかけてもいい。誰かに馬鹿にされても、自分が思うように生きればいい。

そんな許しをもらったような気がして、目頭が熱くなりました。

読了感も爽やかで、人生を前向きに生きていきたいと思わせてくれるような一冊でしたね。

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