祖父の事について(私の原点かもしれない②)

前回のnoteは祖母の事について書かせていただきました。祖母の人生の話が、誰かのギフトになりますように。

今回は祖父のことについて書かせていただこうと思います。
祖父の生い立ちについては、正直なところ、祖母より詳しくは知りません。でも、祖父の考え方は、これもやはり、今の私を作っていると言っても過言ではありません。


戦争の影響

祖父は東京下町の一般家庭の次男だったか三男だったかに生まれた人でした。祖母とは恋愛結婚です。幼馴染とは言わないけれど、まぁ、顔は知ってるな、みたいな感じだったみたいです。ちなみに祖母が長女だったこともあって婿養子に入っています。

お嬢様育ちの祖母とは違って「普通の庶民」のお家に生まれて、戦時中、特に終戦間際は勉強どころではなかったそうです。

毎日ひもじくて「タンポポを引っこ抜いて食べた」と話してくれたことがあります。

確か学校の宿題で「おじいちゃん、おばあちゃんに、戦争の時の話が聞ける人は聞いてきてまとめてくること」みたいなのがあって、それでこのエピソードを聞きました。

ちなみに、この「たんぽぽを食べた」というエピソードは祖父母の喧嘩の火種になりました。
食べる事に困らなかった祖母が「えー!?たんぽぽ食べたの??」と驚いて「お前は何も知らねぇな」と祖父が返して、そのままバトルが勃発し、子どもながらに気まずい雰囲気を感じました。

今、大人になって考えてみたんですけれど
たんぽぽや、雑草を引き抜いて食べないといけないくらい飢えていて
空襲などで命の危機にさらされていたら
まず一番に優先されるのは「その日生き延びる事」だと思います。

祖父は、毎日生きることに必死な子供時代を送っていたのだ、という事を考えると

毎日ニコニコ上機嫌におやつを食べて、YouTubeを見て、友達と遊んで、宿題にうんうん唸って、布団の上でゴロゴロしていつの間にか寝ちゃう我が子たちの状況が、
とても有難い気持ちになります。

夢は「お腹いっぱい食べる事」

祖父の子供のころの夢は「とにかくお腹いっぱい食べる事」だったそうです。とにかく、あったかいご飯を、お腹いっぱい食べたかったと。

終戦後、祖父は中学を卒業した後、料理人になりました。
美味しい料理をいっぱい作って「お腹いっぱい食べるぞ」という夢をかなえるために、一生懸命働いたと言っていました。

修業時代、祖父は事故で右手の中指を第一関節から上を失います。

「じーじの右手の指が短い」というのは私にとって普通の事だったので、ほとんど気にも留めなかったのですが、ある時「そういえば何で短いのかな」とふと思って、「何で?」と尋ねてみたんです。それで、事故で失ったと聞きました。
祖父は
「指くらい何ともない。戦争で、足や腕を失くした人がいっぱいいたんだぞ。それに比べればへでもねぇ」
「ちゃんと包丁握れるし、鍋だって振れるし、何にも問題ねぇだろ?」
みたいなことをカラカラ笑って言ってのけていました。

私が子供の頃は、まだ土曜日の午前中に学校があったんですね。土曜日は給食なしで学校から帰るという時代です。
学校から帰ると、お店のカウンターに座って祖父が作ってくれたラーメンを食べました。お店のメニューにはない祖父特製の「お子様ラーメン」で、祖父の気分でゆで卵が乗ったり、チャーシューの切れ端が乗ったり、ほうれん草が乗ったり。時々餃子を付けてくれたりして。
祖父はあの手で、いっぱい料理を作っていたんだなぁ。

祖父が作った料理は、絶対に残すことは許されませんでした。
というか食べ物全般、残すことは許されませんでした。
正直なところ「残すなんていい度胸してやがる」という一言がとても恐ろしくて、私には「残す」という選択肢はありませんでした。

今も、私は食べ物を残しません。

本と博物館が大好きな祖父

進学せずにすぐ料理の世界に足を踏み入れた祖父ですが、本当は勉強したかったんだと思います。

祖母同様、祖父も本をたくさん買ってくれましたし、図書館にも頻繁に連れて行ってくれました。そして、祖父は博物館や美術館も好きで、私たち姉妹をよく上野の博物館に連れて行ってくれていました。

「今日は上野に行くぞ」と祖父が言うと、それは上野動物園のことではなくて、博物館か美術館のこととした。
とにかく事ある毎に上野に行っては「よーく見ろよ」と言って、自分も真剣に展示を見ていました。
私は子供すぎて、正直時々「つまんないな」と思うこともあリました。でも、祖父が真剣に見ているので「帰りたい」とも言えず、一緒に並んで展示を見ていました。

一つ印象的なエピソードがあって
ある時、科学博物館で、人類の進化の展示を見ていた祖父が私に言ったんです。
「見てみろ。人はサルだったんだぞ。でも、神様から脳みそをもらったんだ。スゲェよなぁ」
何となく、その一言だけは忘れられずに今でも覚えいます。あの時、祖父は何を思いながら展示を見ていたんだろうか。

「恥ずかしいなんて思うな」

祖父との思い出を語るのに絶対に外せないエピソードがあります。これは、今の私を作る上で、とても大きな影響を与えたエピソードです。

忘れもしない。小学生の時の出来事。
学校の授業が少しずつ難しくなって、分からない事が出てきたんですね。

ある日、宿題が出たんですけど、私は質問するのが恥ずかしくて、そのまま帰ってきちゃったんですね。
私が「宿題、分かんない」と言うと、祖父が「教科書読めば分かるだろ」と言ったんです。「教科書読んでも分かんない」と言うと、祖父が「先生に質問しなかったのか」と。
「恥ずかしいから質問しなかった」と言ったら、祖父が、静かに言ったんです。

「分からないことがるのに、質問しねぇで、そのまま帰って来たのか」

もうね、めちゃくちゃ怖かったですね。
怒鳴るわけではないのだけれど、静かに、怒りを感じるんですよ。
「じーじが怒った」という事に、サッと背筋が寒くなって、「マズいことをしてしまった」と思いました。

「教科書読んで分からなかったら、絶対先生に質問して帰って来い。子供が分からないことを分かるように教えるのが先生の仕事なんだ。先生に仕事させろ。恥ずかしいなんて思うな。質問してきたことに文句言う先生が居たらじぃちゃんに言え。校長室に怒鳴り込みに行ってやる。そんな奴は先生じゃねぇ。いいか。勉強出来るってことは、当たり前じゃねぇんだぞ」

もうね、泣きましたよね。
「じーじごめんなさい」と言って泣きました。超怖いんだもん。

でもね、この祖父の言葉はとてもありがたかったと、後に分かることになります。

質問してもいいんだ

祖父に怒られた私は、次の日から生まれ変わることにしました。「分からないまま帰ったらじーじに怒られる」という思いが強かったのです。
でも、授業中にみんなの前で手を挙げるのはまだ恥ずかしくて、休み時間に職員室まで質問しに行くことにしました。

ドキドキしながら職員室まで行ったら、先生はちょっと驚いていたけれど、嫌な顔一つせずに「質問しに来てくれたの?」「この説明じゃ難しかったか」とかなんとか言って、ゆっくり教えてくれました。
そして先生は「次は授業の時に質問して良いよ。大丈夫だよ」と言ってくれました。

「おー!何だ!質問してもいいのか!!」と思った私は、少しずつ授業の時に質問するようになリました。そして、それでも分からなければ放課後職員室に押し掛けるようになりました。
友達も「私もここ分かんないから一緒に行く!」という子が何人か現れて、数人で職員室に行く事もありました。
「質問することが恥ずかしい」と思っていた私は、もうどこにも居ませんでした。

質問なんてへっちゃら

中学校に上がってからは、面白い先生がたくさんいたこともあって「何か、勉強って楽しいかもー!」と一番思っていた時期です。
先生たちのこともいつかnoteに書きたいと思っています。

実は中学時代は一番家庭環境がすさんでおりました。トホホです。でもしょうがない。
両親の仲がいよいよヤバくなってきたり、まぁいろいろ。結局、何やかんやで、高校生の時に離婚が成立するのですが。
そんなこんなで色々ありましたもので、私は経済的な理由で塾に行くことが出来ませんでした。今まで塾に通ったことはありません。

でも私は「先生に質問することが全く恥ずかしくない」という鋼メンタルを、この時、既に手に入れているんです。

高校時代も大学時代も、手を挙げて普通に質問しておりました。
社会人になっても、分からない事は「すみません。質問良いですか??」とか「確認させて頂いて良いですか??」の姿勢は変わらず。
正直な話、煙たがられる事もありますよね。「それくらい分かれ」みたいな事を言われたことだって、実はけっこうあります。

でも、そんな時は心のなかで
「この人は、実はよく分かってないから威張る事しかできんのだな」
と考えることにしています。

祖父の「質問されて怒るようなやつは先生じゃねぇ」の言葉が私の中に生きている感じです。

仮に自分が質問を受ける側で分からない質問をされたとしたら、
正直に「今分からない」「それは自分も知らなかった」とか「一緒に調べよう」みたいな感じで言える人でありたいです。

やっぱり「私の原点」だなぁ

前回と今回と、祖父母の事を改めて思い出しながら書いてきて、
やっぱり二人の考え方や姿勢は、私の原点なんだよなぁ、と思いました。

「質問する」とか、たぶん超KYと思われてることも多かろうと思います。でも、自分の子供にも同じこと言って励ましましたよ。
「疑問を持つのは良いことだよ」
「質問して怒られるようなことがあったら、お母さんに言いなさい」と。
さすがに「校長室に怒鳴り込みに行ってやる」までは言いませんが、「いつなら質問しに行っていですか」とか、「どうやって調べたら良いですか」とか、そういう聞き方だって有りですよね。

分からないことがあったっていい。というか、分からないことの方が多いこの世の中で、質問しちゃいけないなんて、そんな事あるはず無いと思います。

ただ、人と違う意見を言うと「敵」認定されそうな気がして、そこは「いやー、やっぱ私もまだまだ典型的な日本人だな」と思うのですが。

でも、「質問」は「反対意見」じゃないから、私は言いやすいんです。
自分でも調べるけど、どうしたって素人には分からない領域とか分野があって、それは質問したっていいじゃないの、と思います。
せっかく芽生えた好奇心だって、拒絶されてばっかりじゃ育たないですし。

私もいろんな世界が知りたいし、子ども達にもいろんな世界を知ってほしい。
分からないことに出会ったら、質問したっていい。そうやってキャッチボールする中で、もっと世界が広がっていくと思うし、好奇心も育っていくと、私は思います。

そういう価値観を私に与えてくれた祖父母には、本当に感謝しています。私にとって最高のギフトです。
祖父母の考え方、姿勢が、誰かのギフトになってくれることを願っています。

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