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木は理を連ぬ、會津


1日目


東武特急のプロ(浅草から日光方面行きに限る)と勝手に名乗っている割には、東武鬼怒川線の方に足を踏み入れたことはない。今回初めて、特急リバティ会津にて、東武鬼怒川線•野岩鉄道•会津鉄道を一気に駆け抜けることになった。
下今市駅から電車に乗り、走り出すと、車で通るには見慣れた風景が目に入る。しばらくは江ノ電を思い出させる民家と激近スレスレ走行。ときおり家の中まで丸見えで申し訳ない気持ちに。窓に「また来てね」の文字が書かれた紙を貼った民家を見つけてホッコリ気分。やはり、自分の住む街に観光としてお客さんが来てくれるのは素直に嬉しいものだ。

どうやら中には日光と鬼怒川は同じようなものだと考えている人もいるみたいなのだが、雰囲気からして全く違うのである。日光方面、鬼怒川方面の分岐点である下今市駅付近ですら、向く方向を変えると感じる空気もガラリと変わる。今回通過したのは前述の通り鬼怒川方面で、やはり日光の市街地と比べこちらはやや廃れている印象を受ける。間違いなく鬼怒川温泉の廃墟群のせいだが。改めて近くを通ったらやはり怖かった。しかし日光に比べたら廃れてるといえどこちらは鬼怒川温泉•川治温泉•湯西川温泉•中三依温泉と日光市の温泉街が続いていく。名が高い観光地であることに違いはない。
そしてアノ、私が個人的にかなりイカしてると思っている名前の「龍王峡」駅も通過する。名に龍が着くのだから安寧の地ではないことは想像つくが、事実こうであった。

 鬼怒川の流れが火山岩を浸食して生まれた「龍王峡」。 その流れが龍のもがき苦しむような姿を思わせることから、その名がつけられました。

東武鉄道

なるほど。鬼怒川はもう読んで字の如くだが…

東武鬼怒川線の終わり、新藤原駅を過ぎるとひとつのアナウンス。
「野岩鉄道•会津鉄道内ではICカードはご利用いただけません」
なんですと?私たちは当然のようにPASMOをタッチし改札内に入った…てかICカード使えないとか今時… いいえそれがローカル。
乗務員さんにこれをICカードの処理ができる駅で渡せと言われた紙をもらい、PASMOは改札を出ず宙ぶらりんのまま翌日下今市に帰ってくるまで放置されるのであった。

そしていよいよ終点•会津田島駅に着くと、そこにあったのは手動改札である。清算窓口には「ICカード、クレジットカード使えません」の文字。これがローカル…乗り方もようわからん電車に乗り込み、とりあえず会津若松方面に向かう。

懸念されていた台風•雨風は山越えと共に無



🚩塔のへつり

乗り方ようわからん電車でまず向かったのは塔のへつりである。改札という概念すらない駅、そして想像以上の晴れ。会津旅の愉快な幕開け。

待合室小屋的なところで時刻表でも確認しようと足を踏み入れるとヌルリと動く何者かが。ギョエ!と言い二度見すると這いずり回るニホンカナヘビのすがた。ヘビだと思った。

よく見ると可愛い


てっきり雨だと思っていたため、そんな山とか川とか行かんでしょうと思い履いていたYOSUKEの厚底靴だけが不安の種であった。
木々の間から顔を出す岩には、圧迫感とただならぬ威圧感を感じる。どうやら結構際どいところまで行けるようなので行く。先ほどの不安が頭をよぎるが、特別滑りやすい靴というわけではないので頑張ることにした。
景色を楽しむとかそういう暇はなく、落ちたら死ぬんですけど…と思いたどり着いた先は小さな洞窟のような場所で、まだそこが問題であった。石が積んである。しかもその石の塔は一個や二個ではなくかなりの数。しかもお賽銭なのか、散らばる小銭。な、なんですかこれは?賽の河原?水子供養?この川は三途の川?まさかここから転落した人の供養じゃあないでしょうね…
色んな意味でヒヤリとした。

眺めは良い
ここを歩く…

歩いてあの小屋に戻ると、まだカナヘビが同じ場所にいた。きっとこの小屋の守り神なんでしょう。

いいもん食ってんのか?
ちいと怖い


🚩湯野上温泉駅

会津といえば🎶大内宿に行くことにした。再びローカル電車に乗り、大内宿の最寄り駅である湯野上温泉駅まで。駅の出口はひとつ、もちろん連絡通路なんて概念はないため線路を横断する。電車の通過を待たなくてはならない。ボケっと待っていると、乗務員室の窓から顔を出した車掌さんと、駅員と思しきお姉さんが手を取り合い微笑み合っている。ひとことふたこと言葉を交わし合い、手を振り合ったあと電車は去っていった。お姉さんは線路横断者を誘導し始める。これが令和6年。「ドアが閉まります💢」とブチギレている東京の電車の乗務員と本当に同じ職業?と疑いたくなる。近くに店という店もほぼなく、電車の本数も少なくて不便だなァと思うのはこちらの勝手であって、ここにはここの人にしかわからない幸せが確実にあるんだなあ。

茅葺き屋根の駅舎


最悪タクシーでも呼べばいいね…と話していたが、ちょうどすぐに出発する湯野上温泉駅と大内宿を結ぶバスがあった。連携が取れている。
「猿游号」という名のバスに乗り、乗務員さんの明るいアナウンスを聞きながら向かう。どうやらおおすめそば屋があるらしく、もちがもらえるサービス券を受け取りバスを降りた。快晴ではないものの雲の隙間から日がさすとかなり暑い。さっそく例のそば屋に行くことにした。

🚩山形屋

古民家がお店になっている。仏壇も遺影も天照皇大神の掛け軸もある…普通のお家。現役の囲炉裏があり、黒くなった柱や天井はとても好み。囲炉裏には魚の姿…🐟サービスの栃の実もちをはじめにいただく。初めて食べたがこれがまた美味しかった。天ぷらも頼み、蕎麦の前にいただく。どうやら名物らしい天ぷらまんじゅうなるものがあった。付いてきた塩をつけて食べるととても美味しい!物自体は日光の揚げゆばまんじゅうと似たようなものである。もちろん揚げゆばまんじゅうは大好物のため、こちらの天ぷらまんじゅうも大変好みだった。そして本命、そば。運んでくれたおばあちゃんがつゆを若干こぼし減っていたがそれも全てよしとする。そしてずるぽ!おい神。あっという間に全部食べ切り、蕎麦湯も飲み、このまま転がったら寝れる…

とちのみもち
このしいたけみたいなのが天ぷらまんじゅう


🚩大内宿

腹も満たされ観光のターン。青空も見えてきてかなり暑い。まず当たりを一望できる山に向かった。塔のへつりでもそうだが、やたら急な階段を登りがちである。ひとまず登りきり見えたのは、観光パンフにありがちな見下ろし大内宿。茅葺き屋根から草が生えてるのがなんだかかわいい。江戸時代から変わらないというこの景色は、土方歳三も同じものを見たかな?
ぶらり歩きお土産を見て回る。お店の人はみんな心優しい。ほっこし。でもとにかく暑い。

トンボ


猿游号に乗って、再び湯野上温泉駅まで。
次の電車までは時間があったので、足湯にはいることに。そこそこ熱い。のほほんとしていたら後方からボチャンという音が聞こえ、振り返るとファミリーの赤子が湯に落ちていた。赤子はびちょぬれになるも泣くことなくケホケホいっている。溺れなくて良かった。
目の前の線路をお座敷列車が走っていった。たくさん人が乗っている。窓がないから、きょう、晴れてよかったねー!という気持ち。いつか乗ってみたい。乗客がみんな手を振ってくれる。

湯野上温泉駅は駅内に囲炉裏があり、燻されて黒黒とした柱や天井がこちらでも見られる。祖父母の昔の家にも囲炉裏があり、その時にできた煤竹は今でも小屋に眠る。祖父母の今の家の玄関には、その煤竹でできている。私はそれがとても大好きで、家族が新居を建てる時、小屋から引っ張り出して使ってもらった。中3の冬、受験勉強の合間に竹磨きをしたものだ。

足湯🎶
「人生は 輩といちどきに 乗り合わせ、

飛び去る折々の 景色に盛り上がり、 苦楽を共に、

充実を目指す、 お座敷列車に、 さも似たり。」


🚩会津若松駅

SLを見送った。去る電車に手を振る人を見ると嬉しい気持ちになる。ここには自動改札があり、ようやく現代に帰ってきたようだ。

赤べこお出迎え
磐越


🚩フルーツショップ青木 (Fruits peaks) 会津店

ホテルにチェックインし真っ先に向かった場所はここ。数日前に美容室に行った時、担当美容師に月末に会津に行くと言うとすごい勢いでスマホを取り出して、「じゃあここに行ってみて欲しい」と言われ教えられた場所がこのフルーツ屋さんであった。担当美容師は福島出身のようだ。地元愛が強くてなにより。美容師のおすすめはひたすらに桃!なまるごと桃パフェ。それも期間限定のようなので早めに行くしかない。ホテルから30分ほど歩き到着した。
桃パフェ!ありもうした!迷わず注文。
出てきたそれは名の通りの「まるごと桃パフェ」。桃の使用量は約1.5個分だそう。崩れないように細心の注意を払いながら食べる。日常で桃を一気にこれだけ食べることはほぼないため、大満足。美容師に行ったことを早く伝えたいな。他のフルーツやタルトも美味しそうだった。

もも

その後、猛烈に焼肉が食べたくなり、近くにあった牛角に向かうのであった…


2日目

朝ごはんでお米お茶碗2杯食べた。馬肉も初めて食べた。肉実績解除🔓牛豚鶏鹿馬


🚩飯盛山 白虎隊十九士の墓

快晴。周遊バスの乗りほ券を買い、今日はひたすらバス移動。まずは飯盛山。

絶望的な長く続く階段の横にスロープコンベア(有料)。迷わずお金を払う。斜めになりながらも快適に山の上へ。スロープコンベアを降りて少し階段を登ると、白虎隊十九士の墓へ到着。とてもカメラは向けられない。カセットコンロで火をつけるという独特な方法で線香(無人販売、有料)に火をつけ、墓に置く。墓石ひとつひとつに名前が刻まれている。16〜17歳の少年達の隊。19になるまでのほほんと生きてきた私に、彼らについて言えることは何もない。

🚩飯盛山 白虎隊自刃の地

墓から少し離れた、地元の人の墓が立ち並ぶ片隅にある。隊士の石像の前に立ち同じ方向を見ると、うっすらと鶴ヶ城が確認できる。もっと若いうちに来たかったなあと思った。8月23日、も、このように青々としていただろうか。

自刃の地から鶴ヶ城方面
快晴


🚩さざえ堂

さざえってなんぞ?と思ったらほんとにサザエのような形をしている。中にも入れるようだが、少し先を急いでいたこともあり外観だけ眺めて通り過ぎた。立派な木造建築。次また訪れる機会があったらぜひ内部へ。

たしかに🐚


🚩白虎隊記念館

小さいながらもたくさんの展示物。近藤勇さんの鉢がねが展示されていますよ!ドキリ
最近何かと特攻隊ですとか、注目されがちですけれど、「美しい死に様」というのは無いよね。儚い…といったらそれはそうなのかもしれないけれど賛美されるものではないはず、少なくとも今は。私は現代を生きる乙女ゲームの主人公なので、とりあえず全員に死んでもらいたくないと思っている。脳が勝手に全員生存ルートを考える。


🚩会津武家屋敷

屋敷テーマパーク(?)である。西郷家のデッカイ敷地と日本家屋を巡る。たまにいる蝋人形が若干怖い。家の中で迷いそうなほど広い。中庭は中庭ではなく普通の庭レベルである。寝っ転がったらコロリと眠れそうなほど居心地は良かった。
そしてこの西郷家、集団自決を行っており、「自刃の場」という部屋がある。ま、また自決かいな……と少々ションボリした。西郷家の婦女子たちが「足手まといになるまい」と考え自決を決めたそうで…ひめゆりの塔と資料館に行った時もそうなのだが、自分は女なので、こういった女性の歴史をみると男子の歴史を見るよりぞっとする。千重子と頼母の長女•細布子は16歳。その細布子さんは、腹を切ったが死にきれず、乗り込んできた潘士に介錯を頼んだとかなんとか…絶句。
私が16の時なんて乙女ゲームプレイヤー真盛り、女性向けコンテンツにかなり熱を上げていた。やれ戦国武将や偉人なんかにキャーキャー言っていた。なんだか恥ずかしい。

でかいシオカラトンボ
ちいさいオニヤンマ
鹿の角の刀置き!かっこいい。
柿の木


🚩喜多方ラーメン専門店 喜鈴 城前店

福島と言ったら、🍜喜多方ラーメン🍜飯盛山と武家屋敷で歩き回り汗をかいた体が塩分を求めている。入城前に腹ごしらえ。そこそこ並んでいたものの待つことにした。待つこと約30分、ようやく中に入り手早く注文し到着した瞬間すする〜!そういえば外で待っている間小学生男児がSUSURU TVのモノマネをしていた…。全く関係ないがマジで腹が減っていたためチャーシュー丼も頼んだ。これがまた大変美味しく、炙り焼豚と柚子胡椒が合ってて大変美味しい(2回目)。でっかいどんぶりで作って欲しい週一くらいで食べたい。ラーメンも秒で食べた。大変美味しい…


🚩鶴ヶ城

そしてようやく、鶴ヶ城入城!何気に城全体、天守閣の実部を見たのは初めてだ。訪れたことのある仙台城、宇都宮城は跡地、金沢城に天守閣はない。鶴ヶ城は赤瓦。飯盛山から鶴ヶ城を探した時に見つけづらかったのは屋根が赤色だからかもしれない。青空に白い城壁が映える。城ってかっこいいなあ近くに城がある生活っていいなあ。現代の建築技術で城を建てようとしたらどれくらいの時間がかかるのだろうかと気になった。
城内はまるっと展示になっている。城の歴史だけでなく戊辰戦争の歴史までも学べる。戊辰戦争については旅立ちの前日、回転寿司屋にて歴史まとめサイト的なものをひたすらに音読をし多少の知識はつけた。アホはアホなりに少しは勉強する気はあるのである。ただし実際に見学した時には半分くらいは忘れていたため、展示物を読みまるで初見のようにへぇ〜〜〜〜とうなづいていた。別に今までの学生生活で日本史を全く学習していないわけではないので、出来事や人の単語自体はそこそこ知っているのだが、母親に「で、それは何なの?」と言われてもまったく分からない。そんなことより今日は松平容保さんの肖像をかなり見ているなあと思っていた。今年2月に函館に行ったばかりなので、なんだか最近超•幕末だな…とかいうアホの感想も抱いた。そして考えるのはやはり土方歳三のことであった。

展望層からはあたりを一望できる
飯盛山方面
ズンズン
ズン
ズ…


🚩会津新選組記念館

名前を聞いた時から行ってみたかった!二階建てになっていて、一階は骨董品屋さん、二階が記念館。骨董品屋もかなり見応えがあり、本格的な骨董品から新選組グッズ、薄桜鬼のグッズまでもあって心ウキウキ。記念館は小さな部屋に展示品がびっしり。しかもそれは個人コレクションだというのだから驚き。個人的に錦絵がとても目を引いた。なかでも「徳川慶喜大坂脱出の図」というものがすごくかっこいい。これが版画ァ…?ほんとうに…?という気持ち。私は版画とても苦手だったし下手だった。
高校生の時、近所のブックオフで薄桜鬼のゲームソフトを買ってから、当時の英語教師に「土方歳三に惚れるから読め」と言われ、図書館司書さんに引っ張り出してきてもらった燃えよ剣を読んでから、うっすら新選組と土方歳三が好きだ。小学生で日本の歴史について学んでから、学校の勉強として幕末というのはかなり苦手だった。勢力関係が全く覚えられないのである。薄桜鬼と燃えよ剣、この二作品は史実とは多少違う創作物とはいえど、幕末苦手意識を少し改善させてくれたものである。ほかにもBLACK STARや三国恋戦記、ゴールデンカムイ、など、興味の幅を広げてくれたコンテンツは数多い。有識者からしてみれば少々思うところはあるかもしれないが、私みたいな無知識者からするとこういうコンテンツは入り口になってくれるのでありがたい。ちゃんと勉強しようという気にさせてくれるのだ。

誠ポスト


🚩七日町駅

会津田島に帰る準備をする。会津若松からすこし進んだ七日町駅で電車に乗ることにした。ここにも改札なんて概念はなかった。駅についているお店でお土産を買って、併設しているカフェにてお飲み物を頂戴。スカスカの時刻表を眺め、電車に乗る。

ブルーベリーフロート
駅舎


電車内でスッカリねむりこけていた。起きたら、虹が出ていた。のちに母親に「塔のへつりに着いた時写真を撮っている人がいたんだけど、(あんたのブサイクな寝顔が)写り込んでないかヒヤヒヤした。」と言われた。

見るたびに上に伸びていった


🚩会津田島駅

帰ってきた。ここからまたリバティ会津に乗り、今市に帰る。下今市駅までの乗車券を買おうと窓口に行ったら、少し安くなる方法で発券をしてくれた。リバティに乗り、お馴染みのアナウンスを聞くと、旅の終わりを実感した。

ローカル電車もさようなら


🚃

なんだか初めて来たように思えない場所だった。ずっと昔から知っている土地のように思えた。そして何より印象に残ったのが会津の人たちの人柄の良さである。鶴ヶ城や武家屋敷の受付から、小さなお土産屋さんや小さな資料館の受付、みなさんニコニコで「こんにちはー」と言ってくれる。ブックカバーを買ったお土産屋さんは、私の被っている帽子を見て「可愛いですねえ」なんて言っていた。全てが慌ただしく動いていく都会にいると忘れてしまいがちな優しさがここにはある。ほっこりのんびり、都会の喧騒を忘れてゆっくりしたい時にまた来たいと思えるような土地だった。


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