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夢の中で

白髪の老婆を小舟にのせて、河を下っていた。
老婆は眼を閉じ、静かに横たわっていた。
時々、両手がふわりと上に動いた。
それを横目に見ながら、ゆっくりと櫓をこいだ。
櫓から落ちた雫が、とろりと重く、血の滴りのようだった。
川面は暗く、遠くの景色は闇に飲まれて消えている。
ただひたすらに櫓を漕ぎ、そうしながらも、頭の隅では、
この河の先は海だから、どこかで舟を降りなければ、
と考えていた。
河岸に舟だまりが見えた。
 
いつの間にか、舟を降り、荷物を運ぶ小さな牛車に
乗り換えていた。
田舎の道を、今度は東に向かっていた。
老婆は相変わらず、死んだように眠っている。
節くれだった指だけが、時々、何かの合図のように動く。
牛車は揺れながら、とろとろと進んでいた。
向こうから、大きな黒い車が近づいてきた。
車は止まり、牛車も止まった。
どちらもじっと動かない。
黒い塊のような車で、正面ガラスも真っ黒だった。
目を凝らしても、中の人は見えない。
少し不気味だった。
逃げたい気持ちがどんどん膨らんできた。

「譲ったらいけないよ」
背後でしわがれた声がした。
思わず振り返ったが、老婆は静かに眠っていて、
声を発したとも思えない。
それでもひとつうなずき、決して譲るまい、と心を決めた。
やがて黒い車は、あきらめたようにバックし始めた、
わずかに広くなった場所で、牛車と黒い車はすれ違った。
少し進んで振り返ると、止まった車の脇に、
真っ黒な人影が立っていた。
黒い車と黒い人影がじっと佇み、こちらを見送っている。
心臓がドクンと動いた。
眼をそらしたら追いかけてきそうで、
束の間、まばたきもしないで見つめ返した。
牛車はゆっくりと進み、人影も車もしだいに遠ざかった。

ああ、助かったと思った。
とても怖かったのだと思った。
すこし間を置いて、とても美しかったと思った。
美しくて、そして寂しい。
暗い河面も、櫓から垂れた血のような雫も、
老婆の節くれだった指も、田舎の道で見送っていた黒い人影も。


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