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ラジオ 深夜特急を聴きながら

TBSラジオで「朗読 斎藤工 深夜特急 オン・ザ・ロード」が始まった。

『深夜特急』といえばバックパッカーの愛読書であり、バイブルとも称される沢木耕太郎の名著だ。
その昔、友人からすごく面白い本があるよ、と勧められた。一人の青年(著者)がインドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスだけを使って旅する話だと言う。これは面白そうだ、読んでみたいと思った。でもその反面、こんなことも思った。
そんな旅、男だからできるんだよね、読んだらきっと女の自分には到底できない旅だろうから羨ましい気持ちでいっぱいになるだけだろう、と。
そして長らくその本を手に取ることはなかった。

ラジオが始まったので、久しぶりに本棚から『深夜特急』を取り出した。
奥付をみると初版は1986年5月25日。
その横に27刷で1993年1月25日と記されているので、その後私がその本を手にしたのは少なくとも初版から6年半後ということになる。
その間にどういう心境の変化で『深夜特急』を読もうという気になったのかははっきりとは覚えていない。

ただ、初版の1986年という年は私は23歳になる年で、ワーキングホリデーでオーストラリアに一人、旅立った年だった。
その2年前に中森明菜の「北ウィング」が大ヒットして、父の車で成田空港に着いたとき、出発ロビーが北ウィングだったらいいな、と密かに思っていた。

中学生の頃から、いつか海外に行ってみたい、住んでみたいとは思っていたが、それまで一人旅も、ましてや海外旅行をしたこともなかった。

飛行機はキャセイ・パシフィック航空。
実際、北ウィングだったかどうかは記憶が定かではない。
香港経由シドニー行き。
香港までは乗客はまばらで、私の席は真ん中の4人だか5人掛けの一番端っこの席だったが、一列誰も座っておらず、アームを上げて横なっていられた。
香港ですぐに乗り換え、ほぼ最後に乗り込んだシドニー行きの便はそれまでとは打って変わって満席だった。
それもほとんどが外国人(いわゆる白人のオーストラリア人)で、それまでこんなに大勢の外国人に囲まれたことはなかったので、一気に緊張してしまった。
すっかり気圧されてしまったのだ。
スチュワーデス(今はCAですね)から英語で「お飲み物は何がよろしいですか?」と聞かれ、隣りのオーストラリア人のおじさんが「オレンジ・ジュース」と答えていたのを聞いて、私もすかさず「オレンジ・ジュース」とお願いした。
それからは聞かれる度に「オレンジ・ジュース」を注文した。
本当はお腹がガボガボなのに断ることもできず(まだ、「要らない」を英語でなんて言えばいいのかわからなかった)、かと言って他の飲み物も言えずにひたすら「オレンジ・ジュース」と言い続けたのだった。
ついでに言うなら隣りのおじさんに声もかけられずトイレすら行けなかった。


それから楽しかった1年間のオーストラリア生活を終えて帰国するころには世界中どこにでも一人で行けるわ、という心境だった。
それで『深夜特急』を読む気になったのかもしれない。

実際、その後、香港、台湾、中国、タイ、ラオス、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガル、モロッコ、チュニジアを旅した。一人旅の時もあったし、友人との二人旅の時もあった。

香港では『深夜特急』に登場するチョンキンマンション(重慶大廈)の安宿にも泊まった。1階は素人お断りのような怪しげな雰囲気が漂っていたが、勇気を出して壊れそうなエレベーターに乗って結構上の階まで行き、安宿を探して泊まったのだ。
まだ香港が中国に返還される前の話だった。

今年の初めだったか、NHKでドキュメント72時間「香港 チョンキンマンションへようこそ 特別編」の再放送を見て、あの頃と変わってないな、と懐かしく思った。
中国返還後もチョンキンマンションはチョンキンマンションのままだった。

あれから何度か引っ越しを繰り返し、断捨離と称してかなりの本を処分してきたが、この『深夜特急』は絶対に手放さないだろう本のリストに入っている。少々ほこりをかぶっていたが、久しぶりに取り出し、斎藤工さんの朗読にあわせて活字を追っている。

ラジオを聴きながら、いつかまた、だけどそう遠くはないうちにバックパックを背負って期限を決めない旅をしなければ、と思い始めている。

(この記事はポメラDM250で書いています。)

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