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『現代版産婆』を目指す老舗の品格❣️

助産師を
長くやってきた。
今更ながら、
自分の『助産師観』について、
考えてみた。

敢えて、
許されるなら
『現代版産婆の品格』かと
考える。


🌼月並みな、
書き出し「動機について」、、、、。

自己紹介にも
よく書いていることだが、
元々、
医療関係者に仲間入りした動機は、
めちゃくちゃ不純❗️


①看護師は、白衣の天使❓
日本では、
助産師をめざすには、
看護教育を終えていなければ、
道は開かれていない。

ということは、
私は、高校を卒業した時点で、
意識することもなく、
既に、
布石を打っていたのかも⁉️

いえ、
私自身は、
助産師職を
『生業とするという選択肢』は、
全く、計算外の展開たったが。

幸運にも、
看護師のライセンスを手に入れていたので、
一年間という短期で、
物事を『夢中で経過する限界の期間』を
辛うじて通過出来ただけ。
運良く、
助産師への道を開き、
そのまま進めたのだと思う。

②親に勧めに促されて、
何となく看護系の学校を選択した。
卒業と共に級友全員が
「看護師の国家試験」を受け、
ほぼ九割の仲間と共に
看護師国家資格を手に入れていた。

この時点で、
『看護師ライセンス』を
持っていなければ、
当然、
今の私の存在(開業助産師)はないと
断言出来る。

まず、
第一の関門[看護師ライセンス]については、
ほぼ消去法。
正直、
親の勧めに対抗出来る選択肢も
意思も持ち合わせていなかった。
情けない。
事務職は、適正に欠く。
希望職へは、学力不足。
一人暮らしをしてまでの
主体性をもちあわせず、
決断も出来ず。

結局、
親の安定職をとの助言を受け入れ、
取り敢えず、
不況に強い国家ライセンスを
手に入れようと。

白衣の天使を目指したくて
看護師を志したわけでない。
家族の誰かが、入院中に
看護職に魅せられたという経験もない。
実に曖昧な選択だった。

更に、
助産師に関しても、
運良く二者択一のウチの
助産師コースの試験に合格したから。

さして、
『出産』『赤ちゃん』に
関心があったわけではなかった。

*二人の子どもを
出産した経験のある
ママさん学生だったが、
担当教官からの第一声は、
「化粧が濃い!」との叱責だった。

更に、
実習練習に於いても、
2回の出産体験は、
なんなのプラスにもならず、
返って、
体験があるのに、
援助する側の動作は、
テンデちゃらんぽらんで、
仲間に迷惑を掛けているなぁと、
思いつつトレーニングを
していたという記憶しかない。

③看護職とは、
理論に伴う実践が
プラスされてこその実力であり、
看護師としての
評価対象とされるものだ。

最初の職場は、実践もほぼ無く企業内診療室での勤務は、看護師の実践力には役に立たないものだった。
華のOL勤務は、丸三年で、円満退縮。

結婚、出産と
当時のお嬢さんコースを歩み、
二児の母に。
新生活に馴染めず、
実家に迷惑をかけていた、
何とも情けない若いママだったなぁと、
回想しきりです。

🌼未だ、
助産師と云う、
自分の生涯を
賭けて続けていく職業
『助産師』には、
未だ未だ、出会えていない私の二十代。

この続きは、
現代版産婆どころか、
助産師にも
繋がらない状況だった、
この後を『その二』に続けたい。1/17



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