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「出産」に対する考え。痛みは不要⁉️ソレもあり

お産に対する考え方も、
変わったなぁ。

日本では、
『陣痛』

🌼母になる為には
    体験しなくてはならない痛み
🌼出産には不可欠な痛み

🌼母になる洗礼

などなど

受け入れることが必須とされていた。

私と年代が古いので、
そのまま飲み込んでいた。

昭和半ば生まれの私。
いまや、
『古希』
(70歳とも云う)

世の中が
これほど変化する事を
体験できるとは。

情報は、
新聞、テレビ、本
速くて、
号外⁉️

今の情報は、
発信源と受信先に
時差が無い。

助産師の世界では、
親の死目には、
会えないと思えとされた。

事実、
お産の最中に
その場を離れる事は出来ない。

私も、
心中、
穏やかではない中での
出産介助の経験は、
一度ならず、
体験した。

お産の緊急性、
時を選ばず❗️

正に『定理』なのだ。
      定理とは,命題の一種で,   
      特に重要度の高いものを指す。
      「定理」の例 :三平方の定理  
              円周角の定理
                               正弦定理・余弦定理
ちょっと、的外れな引用だと思うが。

産婆は、大名行列の前を横切ることを
    認められていたと云う方が
    当たっているかも、しれない。

兎に角、
   『昔は、日常にして、日常ならず』
まぁ、現在でも、
出産は、『日常ならず』ではあるが。

何が言いたいのか❗️
日常生活の中にあった、
     非日常と云う出産。

今や、
両極端とも云える選択肢が、
       整いかけている。

子どもが欲しい。
子どもが要らない。
子どもが出来ない、子どもをつくらない。
子どもの居ない夫婦。
子どもを望まないカップル。

DNAで、ヒトゲノムが研究されると

この子どもは、要らない。
この子どもが、欲しい。
自分の子宮を使わないで子どもが欲しい。
自分の子宮で産めなければ、
他の方法で、
例えば、他人の子宮で育てて貰えば叶う
生まれた赤ちゃんを
もらって育てると云う、養子縁組。

子どもの命の存在を良しとするか、抹消するかを、外から選択する方法

兎に角、
色々な、考え方がある。

『授かり物』=赤ちゃん
は、
今でも、
生きて居る言葉だと思う。

けれど、
方法論は、
これ又、
凄い絡み合った選択肢の中にある。

だが、

肝心要の女性に生殖器官
『子宮』
  もう一つの生殖器官『卵巣』

『受精卵』の前段階の卵ソノモノ
『卵子』を創り出すことは出来ない。

「妊娠の新しい教科書」(堤治著)には、
     一般的な読み物として、
     最新の不妊治療に就いて、
     誰もが知識を得られる
     分かりやすさで紹介されている。
こうなると、
選ぶと云う事にこそ、
   責任、意義、その人の人生が
   かかってくることに
   なるのだと思う。

人が人として、
   この責任を果たしきるのは
   至難の業⁉️ではないか。

学校では、
生命の重さは愚か

いのちの仕組みソノモノも
           学ぶことが出来ていない。

いのちが、他のナニモノにも
     変えられない。


一度絶えたら、、、。
  一度、途絶えたら。

     どんなに修理しようとしても
     何をどう取り替えても
     もう、二度と
    息を吹き返すことは無いんだ❗️
と。云う事を
    いつ知り得るんだろう⁉️

痛みを、どうにかしようと云う
    選択肢は、あり得ると思う。

けれど、途絶えた、終わり。
     theEND って
本当に誰が、いつ、どうやって、
     伝えられるんだろう⁉️

#いのち
#選択肢
#生と死

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