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ダーウィンの名著から学ぶ、他人からの批判を恐れないこと

「他人からの目線は気になるし、評価は気になる。」
30代までの私は確かにそうであった。
特に新社会人の時は悩むことはたくさんあった。

しかし、30代後半になると他人の評価も批判もほとんど気にしなくなった。全くと言ったら嘘になる。多少は気にする。

ダーウィンの「種の起源」には名言が書かれていない


さて、どうして他人からの批判を恐れなくなったのか。
それは進化論で有名なダーウィンの「種の起源」を読んだからである。

ダーウィンの「種の起源」は非常に重要な本である。
その本の存在は多くの人が知っていると思う。
しかし、実際に読んだ人は少ないのではないだろうか?
なんせ岩波文庫の訳書でも上下2巻に分かれた大作である。

私が種の起源を読み始めたきっかけは、「強いものが生き残るのではなく、変化に対応したものが生き残る」という名言がどこに書かれているのかというエビデンスが欲しかったからだ。
残念ながら私はその部分を発見出来なかった。
名言にはよくある話である。
いわゆる意訳が広がったということであろう。

生物の闘争は本能であり、批判もその一つである


近年のパンデミックや戦争も含めて考えさせられるのが、「種の起源」の上巻、第3章 生存闘争である。

あらゆる場合に、ある個体と同種の他の個体との、あるいはちがった種の個体との、さらにまた生活の物理的条件との、生存闘争が当然生じることになる。

ダーウィン著 「種の起源」 第3章 生存闘争

どの生物も生存闘争は必然である。
この章の主張は非常に興味深い。
種の数が増えることに対しての抑制力として「闘争」や「環境」「伝染病」などがあることは否定しようがない。
そう感じる章である。
*ここの章だけでも一読の価値があります。

人間の闘争本能は本質的なものであるから、それを抑制するために法律があり、道徳があるのだろう。
しかし、本質的なものは心の中から消すことは出来ない。
実は批判もその闘争本能からくるものだ。

他人から批判されることは認められているということ


批判はどうして起こるのだろうか?
批判するということは、攻撃するということである。
なぜ批判し攻撃するのか?
それは自分の生存を脅かされていると感じるからだ。

つまり、自分にとっての脅威とみなすことが批判に繋がっている、と考えることができる。
批判されることは、他人から脅威であると認められていることである。

他人に批判されないのであれば、脅威としては捉えられてはいないということである。

批判されるくらいでないと、新しい価値を生み出すことは出来ないであろう。批判されないということは、現状維持ということだからである。

批判されると凹む。
しかし、批判されるということは、相手に脅威として認められているということ。
もちろん、社会的に悪い面での批判は受け入れなければならないとは思う。
しかし、「批判は相手からの評価」。
そう捉え方を変えて、批判される自分の生き方を肯定してみよう。
そうすることが進化につながるかもしれない。


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