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幸せってなんだろう

幸せってなんだろう。
最近よく思う。

よく「あぁー……幸せになりたい」と思うけど、その「幸せ」って何を指してるの?

雨風を凌げる家があって、気持ちよく眠れるベッドがあって、お風呂もあって、美味しいご飯が食べられて、幸せではないのか?
別に特段不幸ではないはずだけど、こんなことを考える時点で「幸せ」ではないのは明白なわけだ。

ではでは、なぜ幸せじゃないんだろう?
と考える。

理由は山盛りある。
まずなりたかった私はどこにもいないこと。
そして金がないこと。
傷ついていること。
愛せる存在がないこと。
孤独なこと。 
取り柄がないこと。

ないものを数えるとキリがないくらいなんにも持ってない私には、自慢できることが何もない。
いや、ないこともない。
「手が綺麗」
「絵が上手」
「スタイルがいい」
とかはよく言われてきた。けど、不思議と別に嬉しくない。し、自信にも繋がらない。褒められているのになぜ自信にならないのか我ながら分からないけど、とにかくならないのだ。

貧しい国でもなぜかとても幸せそうな国もあるのだから、幸せの真理は環境とは関係ない気がするのだ。虫だらけ、ご馳走も食べられない、汚いトイレに汚い部屋、電化製品もなく、遊園地もなく、私が愛してやまない洋画を見るテレビもなく、ないないだらけの生活を送る国もある。でも彼らは不幸そうではない。彼らは彼らで、貧しいなりに満足して幸せに暮らしているではないか。
では私に何が足りないというのだ?

思うに、貧しい国の幸せの基準は低いのだと思う。自分たちが手に入れられる程度の幸せしか期待しておらず、貧しい生活の中でささやかな喜びに一つ一つ感謝して、家族を大事にする。それだけで幸せを感じられるような、本当の意味で豊かな心を持っているのではないか?と思う。

幸せを手に入れるには自信が必要だと思う。
そしてその自信を持つには、自信を持てる要素が必要。何かが得意とか秀でてるとか。あとは自分を愛してくれる人も。そして自分を愛することも。でもそれは他人に依存してはいけなくて、自分自身で自分自身を認めて受け入れて自信をつけ、自分を愛する。それがベストなんじゃないかな、と思う。

でも幸せってその時によって違う。
忙しい日々が続いて休めなかったときは、休みの日に久しぶりに家に籠ってゴロゴロしてるのが幸せだし、ゴロゴロし続ける日が続いたら遊びに行けることが幸せだし。外国に行って帰国してから日本食を食べると幸せだし、日本食ばっか食べたあとにピザとか食べると幸せだし。

つまるところ、「幸せ」に決まった形はないんだろう。

無いものだらけだから欲しいものが沢山あるけど、それらを全て手に入れたらきっと今度はあれが欲しいこれが欲しいって次々と欲が出てくるだろうから、人間は求め出すとキリがないんだろう。上には上がいて下には下がいる。比べるとキリがない。

こうして考えていくと他人と比べずに自分のベストで頑張っていけばいいじゃんって思うけど、実際問題そんな余裕はなく……。

もっとああしたい、こうしたい。
もっとああなりたい、こうなりたい。
……止まらない欲と嫉妬心。
よく言えば向上心、
悪く言えばないものねだり。

幸せというのは多分、自己愛の上に成り立つものだ。幸せであるためにはダメな自分も愛することが重要で、それが出来たら自身に対する不満要素が目立つことはなくそれなりに満足していられそうだ。

だけど多分、人間は一生ないものねだりをして生きていくんだろうと思う。永遠に隣人の芝を羨み続けて。それをしなくなったときが本当の「幸せ」な状態に違いない。


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