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《総括》悪夢の2023年を振り返って



悪夢の開幕

始まりは去年の秋。ここでは書かないが、ある事情があって就活が大いに出遅れてしまい、秋から始めた。結局就活は今年の春の卒業式までも続いた。私はとある専門学生だったため、その仕事に応募していたが1社も書類すら通らず、見事に就活を大失敗に終えたのだった。

就活中、周りは続々と就職先が決まるのに自分はずっと決まらず、面接にすら行けず、かなり精神的に追い詰められていた。なかなか眠れないし、眠れば頻繁に悪夢を見た。私が見る嫌な夢というのは、大抵“目的地があるのにそこに永遠に辿り着けず彷徨う夢”だ。この頃もそんな夢を頻繁に見ていた。夢の中の景色はいつも美しかったが、その内容は反比例して最悪であった。


新卒カード喪失

次第に道を見失い、完全に井戸の最深部へ落ちていた私はヤケクソでとある会社へ応募し、就職した。専門学校で学んだ分野に触れるか触れないかで言うと全く触れないが、全く関係のない職種でもなかったのでやってみることにしたのだった。

朝早くに起きて、1時間半以上かけて県外へ出勤。夜は遅くまで残業。常に“ベストを尽くす”ことをモットーに頑張ったつもりだったが、色々あって1ヶ月で退職。退職する際には電話口で代表取締役と揉めた。私が引いたことで丸く収まったが未だにあれはおかしいと思っている。
そんなわけで新卒カードをドブに捨てたのだった。


推しが逝去

新社会人1ヶ月目のある日、推しがこの世を去った。2次元のキャラクターではなく、生身の人間の推しだ。彼が自殺したことで私のメンタルはダダ崩れで、正直壊れていた。時間とともに傷も癒えてきて正気を取り戻せたが、やっぱり今でも辛いし、心にポッカリと空いた穴は何をもってしても埋められはしない。


フリーターへ転身

1ヶ月の正社員経験で、自分には正社員は無理だと悟った。どうでもいい会社のために社畜として心身と時間を削るなんて御免だし、どうでもいい会社の言いなりになって会社の犬になるのは御免だ。上の命令は絶対、遅刻は許されないが会社は定時を守らない、そういうところが大嫌い。特に上司や先輩の圧力が耐えられなかった。社会人なら当然耐えるべき部分だと分かっているが、それでも自分には無理だ。そう思ったのでフリーターになることにした。

専門学校での学歴は何にも生きないが、もう1つ夢はある。その夢を叶えるためにフリーターをしてお金を貯めようとしたが、やはり正社員を1ヶ月で辞めているのがネックなのかバイトでさえなかなか採用されなかった。6社か7社くらい受けて次第に受けるところがなくなってくるほどだった。その中には採用をもらった店も含まれているが、そこは面接時に自分に合わない社風だと確信したので断った。それは正解だったと思う。


謎の体調不良で5キロ痩せる

仕事を辞めてバイト探しをしていた頃も私の精神状態は非常に悪かった。元々ある時から希死念慮があり、日常的に死にたいという気持ちはあった。バイト面接ですら落ち続けていてこの時もかなり追い詰められていたので、それも関係してか謎の体調不良が始まったのだ。理由もなく嗚咽が出て吐き気がして、食欲不振になって全然食べられなくなり、何ヶ月か分からないが2〜4ヶ月で最終的に4〜5キロ痩せた。精神的なものだろうなとは思っていたものの、まずは喉の異常を疑って病院に行ったが異常はなかったのでやはり精神的なものだったようだ。ちなみに体重は今も戻っていない。まぁ、戻らなくていい。


やっとバイトを見つけるが問題発生

夏頃やっとバイト先を見つけた。新規オープンしてから2ヶ月くらいの店に、週4・1日6時間という希望で入った。仕事内容も気に入っていたのだが、また問題が出てきた。私が入って1ヶ月くらいで店の売り上げが半分以下に落ち、シフトに入れなくなったのだ。

具体的にはこうだ。夏頃はお客が多かったためバイト募集を続けていて、私が入った後もバイトが入ってきた。最初は売り上げがあったので人件費も問題なかったが、秋頃から売り上げが落ちて人件費が払えなくなった。そんなわけで、バイトの人数が店の必要人員に対して多いという状態になり、バイトの人達の勤務時間が大幅に削られたのだ。で、要領が悪く覚えも良くない私が1番削られて週に1度入れるかどうかというくらいにまで入れなくなった。自分の力不足ではあるが、これでは収入などないも同然だし、たまに出勤したら裏で仕込みの力仕事をするのみという非常に退屈で隔離されたような状態だったため次第に辛くなってきてしまって辞めた。


友達を失う

正社員だった春から遊びに誘っていた友達がいたのだが、スケジュールが合わなかった。10月にやっと予定を合わせることが出来て、遊びの日を楽しみにしていたが何日か前に仕事が入ったとLINEでドタキャンされた。仕事だから仕方ないとはいえ、その時に軽く謝る程度だった上に別の日程の提案もなく不誠実な対応だったため不愉快になり、素っ気ない返信をした。すると相手が逆ギレしてきたので私も適当に返信した。その後考え直して大人げなかったと反省し、何故そのような素っ気ない態度をとったかを長文で送った。誤解のないよう、険悪にならないよう、よく考えて丁寧に作り上げた文章だったが、相手からの返信は至極冷酷なものだった。「そういうのがもう面倒くさいねん」「鬱にかかっててしんどいねん」「そんななか頑張って返信してるのに」「恋人じゃないんやから」などなど。

「鬱やからなんやねん」というのが本心だ。私がこれまで死にたい日々にどれだけ耐えてきたか。今年もギリギリな中でどれだけ歯を食いしばって踏ん張ってきたかお前は知らないだろう。辛いのは自分だけとでも思っているのか?私が平気とでも思っているのか?なんて自己中なんだ。もっと言い方があるだろう。……そう思った。

相手を労る言葉も入れたのに届かなかったようだ。自分が良かれと思ってやったことが裏目に出たうえに、深く深く傷ついた出来事だった。まぁ、こんな奴とは切れるのが必然なのでこれで構わないのだ。

コロナになる

バイトを辞める直前にコロナにかかった。ずっとマスクをつけていたのに、手洗いうがいもしていたのに。この手洗アルコール消毒おばけの私がコロナになるなんて……。

11月上旬の深夜に異様な寒気に襲われ、すぐに高熱が出て上がったり下がったり、まるでジェットコースターのような体温の変化。普段風邪すら引かない私なので、高熱を出すのは小学生のときに新型インフルエンザにかかったとき以来だったので結構しんどかった。「コロナかもしれない」とは思っていたが、衛生面は常に徹底していたのにコロナになるわけがないと思っていた。でも検査の結果コロナだと……。いつ感染したのかも分からないが、多分食べられなかった時期のせいで栄養不足になって免疫力が下がったことと、急激に痩せたことが関係していると思う。

他にも耳管開放症であることが今年判明した。まぁこちらは大したことはないのだ。これは耳管が勝手に開くことで外側と内側がツーツーになり、自分の声や呼吸音がダイレクトに聞こえるために外の音が聞こえずらくなる病気。症状が出なければ全く問題ないが、出ると治るまで為す術がないし、自分の声や呼吸音など全て大きく聞こえるのが非常ーーーにストレスなことだけが問題だ。


動悸が止まらない

何故か動悸が治らない。動悸は専門学校時代からあったがコロナ以降酷くなって、何故かよく動悸がする。死ぬ病気じゃないといいな、と思うだけである。死んだら楽だなと思うけど、推しの死の記事で書いたように今は生きようとしているので動悸ごときで死にたくない。


そして今

今もバイト探し中である。つい最近面接に行った所で、店長が私を採用する気満々で話してたし、「多分いける(採用される)と思うんだけどね〜」と話してたのに、次の日普通にお祈りメールが届いた。心が折れる。


地獄の1年を終えて

私の今年の漢字は間違いなく【失】である。喪失の【失】、失敗の【失】。今年は失うばかりだった。色んなものが手からこぼれ落ち、何も掴めなかった。心も体も半壊、何も残らなかった。社会的地位だけでなく心の大事な何かも、自分が自分であるための何かも失ったような感じだ。

だからこそ、来年は実りある1年にしたい。もうこんな1年はこりごりだ。皆さんが読んだ限りでは大したことないように見えるかもしれないし、実際にそうかもしれない。もっと過酷な人生を生きている人は山ほどいると思う。でも私にとってはこの1年は過去一でキツかったのだ。そこだけ分かってくれる人がいたらとても幸いです。

とりあえず壊れた翼は修理しなければならない。ガソリンも入れなくては。パンクしたタイヤも交換して、動かなくなったハンドルも直さなくては。フロントガラスもキレイにして、割れたところも直さなくては。機体がちゃんとしてないと飛行機は飛べないからね。来年はちゃんと飛べるようにしたいし、失うばかりの人生に変化をもたらしたい。このままではいけないと強く思う。“ピンチはチャンス”、前向きなことを考えて、心身ともに健康な1年を作りたい。そう思っています。 

ここまで読んでくださってありがとうございます。お互い元気にいきましょう。ではまた。

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