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浪人

浪人していたときのことを書こうと思う。

 何の団体にも所属していない状態は自分の存在を危うくさせる。私は高校卒業後、1年間浪人していた。浪人生のアイデンティティは凄まじく不確実だ。高校生でもない、大学生でもない、通っていればかろうじて予備校生と名乗れる。ただお店等で学生を名乗れないし、浪人生は受験界隈でこそ認知はされているが、普通に考えてシンプルに無職なのだ。アイデンティティがあやふやだと、受験勉強も当然しんどい。浪人生は当たり前に精神を病むと言われるのも仕方無いと思う。

「1年多く勉強してるんだからそりゃあ受かるでしょ」

「ご職業は…あっ、そうなんですね…失礼致しました。」

「そんなんだと『もう1年』だよ?」

「現役生はラストスパートができるからね、浪人生は伸びないから負けないようにね。」

浪人経験が無い人は絶対に分からないと思う、あのどうしようもなく不安定で、自分の目標や勉強する意味や、果てには自分の存在意義すら疑ってしまう気持ちを。受験当日が近くなるのが嫌で明日がきて欲しくないけれど、受験しないと永遠にこのままで、それは死んでも嫌だった。
 大学生や社会人がそれぞれの場所へと通学・通勤する電車で、ひとり単語帳を開きながら予備校へ向かう。ああ高3のときもこの単語覚えたな、忘れてたな、とか思いながら。予備校へは片道2時間で、電車を乗り継いで毎日通った。土日も関係なかった。それだけでもしんどいが、極めつけなのは、1年後に彼らのようになれる保証なんて無いことだ。この先ずっと自称受験生かもしれない。2浪、3浪、4浪、、予備校には多浪生が身近にたくさんいる。むしろ多浪生が予備校講師やテストの情報を握っていて1浪生に教えているから、印象が強いのだ。ああはなりたくないな、と他人事に見ているけれど、同時に自分が高校生のときに浪人生にはなりたくないな、と思っていたのを思い出す日々を過ごした。
 予備校は特殊な場所だ。受験に失敗してどうしようもない人たちが、ギリギリの闘志を燃やしている。まわりにいるのは友達ではなく、ライバルだ。誰がどこ志望か、いま模試でどのくらいか、すぐに情報としてまわってくる。予備校にいるだけで疲れてくるが、通うしかない。通わなければまた落ちるのは目に見えているからだ。浪人生でいることに疲れて、受験をやめた人も何人かいる。夏休み明け(浪人生はもちろん毎日授業がある)にホームルームに行ったら、何人かいなくなっていた。耐えられなかったのだろう。私ももうやめたいと何度も思った。でもここでやめたら現役での妥協ではなく浪人を選んだ過去の自分に失礼だと思った。そしてとにかく早く居場所が欲しかった。予備校は不安定すぎて居場所なんかじゃない。確実な団体に所属したかった。それにはやっぱり勉強して大学に受かる必要があった。だから勉強を続けた。

 私は浪人して、現役で落ちた学校をまた受けた。この1年の努力がどうか報われてほしいと思いながら会場に入った。会場で現役生と浪人生はすぐ見分けがつく。目つき、顔つきが違うからだ。現役生はキラキラしていて若い。負けるわけにはいかないと思った。試験は、筆記試験も面接試験も可もなく不可もない手応えで微妙だった。
 結果発表はオンラインだった。予定時刻がきて大学のサイトに結果が貼られても、私は開くことができなくてハリー・ポッターの映画を見て誤魔化していた。家族全員リビングにいて、もちろん発表時刻が過ぎていることは知っているが誰も私に声をかけることができず、無言でハリー・ポッターを観る私を見つめる家族という地獄のような絵面が出来上がっていた。20分ほど過ぎてさすがに見ることを決心し、合格発表PDFを開いたが、自分の番号を確認しようと決心するのに30分くらいかかった。倍率は8倍を越えていたので、正直受からないだろうと思っていた。昨年と同じように自分の番号が飛ばされているのを見たくなかった。消えていなくなりたいと思った。1年前のトラウマが蘇ってきて、指が震えてスマホをまともに操作できなくなっていた。家族に大丈夫だよと何度も言われてようやくスクロールして、自分の番号があるのを見つけた。信じられなかった。目を疑った。でも家族がその瞬間泣いて抱きついてきて、数秒遅れて私も泣いた。本当に受かったんだと思った。頑張って良かった、諦めないで良かったと心から思った。ようやくなりたい職業に向けて勉強できる道が開けたんだと理解して、これまでの全てが報われた。

 私はいま大学に通っている身分だが、浪人していたときのことは一生忘れない。この先どんな辛いことがあっても浪人期を越える辛さは味わえない自信がある。
 そして最後に、目標に向けて頑張っている全ての浪人生を応援する。

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