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【読み切り小説】『死にたくないと、言ってみたい』

 思えば、あいつの仕業だったのだ。
 妻と出会ったのは、俺が25歳の時。社会人として仕事にも慣れ、少しずつ成果もあがりつつあった。そんな時、営業先で妻と出会った。付き合い始めた当初、彼女はあるトラブルを抱えていた。実は、俺の前に付き合っていた男との別れ話がこじれ、未だにその男からしつこく連絡があった。そして俺と付き合い始めてからは、男はそれを聞きつけ彼女につきまとうようになった。
 ある日、俺は妻と会社帰りに合流し、彼女を家まで送っていくことになった。彼女のアパートが近づくと、電柱の陰に人の気配を感じた。無視を決め込んでいたが、とうとう妻が俺に「今、前の彼がつけてきてる」と言ったので、彼女の家の前で別れたように見せかけて奴をおびきよせた。
 彼女のアパートの敷地内に入ろうとする彼を取り押さえ、馬乗りになった。
「お前、なんの用だ?」
 奴は何も言わず荒い息で肩を上下させ、俺を下から睨んでいた。俺は奴に上から一発食らわせ、着ていたパーカーのフードを掴んで奴を振り回すように放り投げた。よろめいた奴は、数メートル先で倒れ込んだ。
「二度と彼女に近づくな!」
 そう叫んだ時には、奴はもう走り出していた。角を曲がる瞬間、憎しみと怒りに満ちた視線を俺に向けてきた。
 それ以来、奴のストーカー行為はなくなり、俺たちは無事に結婚する運びになった。平凡で幸せな家庭生活を送っていた。子どもは二人とも大学まで行き、家を出て社会人となり、結婚し、孫の顔も見せてくれた。
 妻が先立った時、子どもや孫をはじめ、親族が俺を励ましてくれた。妻に先立たれた俺は、晩年を穏やかに過ごした。年金頼みで贅沢はできなかったが、何とか食っていける。そんな生活だった。時に、妻を思って「早くあっちに行きたいな」などとこぼせば、周りの人間には「奥さんのためにも何とか長生きしないと」と言われてきた。
 やがて時が経ち、子どもたちが定年退職した。そんなに長生きができるなんて思っていなかった。でも、着実に身体は衰え、一人で自由にできることも減っていく。子どもたちに、介護を頼むようになった。申し訳ない気持ちを吐露すると「老々介護なんて他人事だと思ってた」と、明るく冗談でかわしてくれる、そんな彼らがありがたかった。
 異変を感じ始めたのは、子どもたちが死んだ時だ。その頃俺は110歳になろうとしていた。いくつか生死にかかわる病気を持っている。医者は私の身体を「病気のデパート」と言い、それでも生きていられるのは奇跡に近いと言った。その頃、俺はもう立つこともままならず、一日中寝たきりの生活を送っていた。
 120歳を超えた頃。俺は病院で入院生活を送っていた。孫たちは俺の介護を諦め、俺を病院に入れた。持病は極限まで進行していたが、延命措置なしでも死なないので、医者たちは首をかしげるしかなかった。全身の皮が骨に引っ付いているような身体になっていた。ギネスの連中が、最年長記録だとかなんとか騒ぎ立ててやって来たのはこの頃だっただろうか。
 137歳の頃。ついに孫が死んだ。そして、ついに病院を追い出されてしまった。介護施設に送られたが、親族間で施設の金を誰が払うのかで散々揉めたそうだ。そろそろ、俺も親族から厄介者扱いを受ける頃だ。
 196歳。俺は完全に孤独になった。新しく人間関係を築くことなどできず、外の世界との繋がりも断たれた。介護施設をたらい回しにされ、初めて俺を見る者は、異界の化け物のような俺を見て恐怖に戦いた。血肉を吸い取られたようになり、骨のシルエットがくっきりと分かる。それでも俺は死ななかった。
 214歳。俺を殺害するよう、国から指示が出された。周囲はもちろんのこと、流石に自分でも気味が悪い。ガス室を作り、その中に俺の身体が横たえられた。室内に毒ガスを充満させ、1時間ほど放置される。苦しかったが、俺は生き延びた。各国からつめかけたマスコミは、驚愕より先に恐怖に静まり返った。俺の殺処分に携わった役員の一人が言った。——いつまで生きてんだよ。
 222歳。俺の身辺調査を行ったと見られる役人の話を盗み聞いた。
「なあ、あいつ、なんで死なないか知ってる?」
「なんでですか?」
「呪いだよ。呪い。昔、あの人の奥さんが若い頃住んでた場所の近くに、不死の呪いをかけられる神社があったって。」
「え、じゃあ、あの人も?」
「そうじゃないかな。今ではその神社はなくなってるらしいけど。まあ、噂だけどね。でも、呪いならさっさと解けて死んでほしいけどね。」
 243歳。俺を切断処分するという決定を国が下した。処分を請け負う役人が、腕、脚の順番に切断していく。その頃には、食事もろくに与えられていなかった。国が餓死を試みたからだ。中身のスカスカな身体は、スムーズに切断されていった。最後に、役人は俺の首をひと思いに切断した。
 遅れて、激痛が脳に吸い寄せられた。バラバラになった俺は焼却炉に送られ、焼かれた。業火に焼かれる俺の身体はその激烈な温度を感じたが、それでも意識は消えなかった。
 首だけになった俺は、もう涙も出なかった。死にたくないと、言ってみたい。ただ、そう思うだけだった。

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