文化祭一週間前に急遽一人ネタをやることに田中は自分の中で幾度も反芻したネタだからと息巻いていた。いざ本番が始まると客席は静まり返っていた。

 いざ自分たちの出番だとステージに向かおうとしたが、緊張と不安で足が止まってしまう。自分を奮い立たせ、再びステージに向かおうとした。しかし、そこで妙な違和感を覚える。違和感というかそこにいるべきではない、正しくは今から向かう場所にもうすでに自分が立っているのである。一瞬戸惑ったがこれは緊張のせいでネタに集中できていないからだと悟り、もう一度気を引き締めようとするがそれも躊躇われた。理由は明白であった。まるで劇のシリアスなシーンでもみているかのような客席の静けさに私は気を取られてしまった。気持ちは舞台袖にいるのに体はもうすでに舞台に上がっていて、ネタが始まってしまっている。心が追いついていないのにネタに集中することは不可能であった。私は逃げ出した。本当にステージから逃げたわけではない。舞台袖の自分(私b)である。私bはこのネタを最後まで見る余裕はなかった。言い換えれば言葉通り現実逃避だろう。私は後悔に苛まれていた。そもそも出なければよかったのではないか、準備期間が短いせいか、もっと真剣にネタ作りに取り組んでいればなどと考えても後の祭りである。この心と身体が二分された状況証拠から見ても私の心がいかに弱いかが見て取れる。情けないなと情けなく声に出た。

 拍手が聞こえる。舞台上からの視点。どうやら出番が終わったらしい。まるで他人事のようだが心ここに在らずであったのだから仕方ないと言い訳してみる。舞台裏では皆がお疲れさま、という声をかけてもらったが面白かったよの声は全く聞こえなかった。私はこの日、とても奇怪な機会があったのだがなぜ見過ごしていた。私も手一杯であった。考える暇がなかった、いや、この日を思い出したくなかったのだろう。なぜなら私は逃げ出すほど心が弱いのだから。

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