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警 察

 我が国の警察制度は、尾張、紀伊、薩摩、長州等の十二藩の藩兵が江戸を警邏けいらしたことにはじまります。

 ところで、毛利氏の長州藩は一つの呼び方しかないのは何でだろう? 尾張、紀伊は尾州藩、紀州藩ともいいます。島津氏のそれは薩摩藩と云えなくも無いが普通薩摩藩か鹿児島藩です。

 大名のテリトリーを藩と呼ぶようになったのは幕末になってからのようです。島津、毛利、山内の家来が討幕の打合せの為に往来するようになってからのようです。
 藩士の正式の称謂は、徳川大納言家来、徳川中納言家来、松平薩摩守家来、松平大膳大夫家来です。
 藩名に大名の名を付けると改易、転封てんぽうの時、具合が悪かったので国名、地名、居城名で呼ぶようになりました。
 毛利氏は周防すおう、長門二国の領主で萩を居城きょじょうにしておりました。このままであればすんなり萩藩と呼ばれたでしょうが、文久二年(一八六二)に山口に引越ししたのです。而して長州藩と称しました。

 はなしを本題に戻します。

 警察は明治二年には兵部省に属しておりましたが、明治五年に司法省の所管となり、軍事と警察が分離されました。明治六年に内務省が設置されると此処へ移管されました。

 戦後、自治体警察と国家地方警察が誕生しましたが、現在は警察庁外局の東北(仙台)、関東(東京)中部(名古屋)、近畿(大阪)、中国(広島)、四国(高松)、九州(福岡)の、七つの管区警察局がそれぞれの区域の府県警察を統括しております。そして、警視庁と北海道警察本部は管区警察局の指揮下にはなく、地方通信部と方面本部(警視庁は九、道警は五)を持っています。
 北海道警察本部長は全国管区警察局長会議のメンバーです。北海道は他府県と同一には扱えません。
 その特異性を並べます。
(一)江戸初期に松前氏が家康から大名として取り立てられましたが、米がとれないので一万石格とされました。格の付くのは他に対馬藩宗氏の十万石格があります。とれない米が技術や品種の改良でいまや百万トンを超え全国の米生産高の一割近くを占め、日本一を誇っております。
(二)明治二年に開拓史が置かれました。明治三年と四年の二年間、樺太開拓史が置かれました。この間だけは開拓史は北海道開拓史を名乗りました。そして現在も北海道開発庁があります。
(三)六鎮台ののち、屯田兵ながらも旧武士主力の第七師団が日清戦争直後にできています。
(四)地方裁判所が四つもあります。(札幌、旭川、函館、釧路)当然地検も四つあります。東京でさえも一つしか無いのにです。
(五)現在、陸上自衛隊の師団が四つもあります。(第二、第五、第七、第十一師団)

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