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【連載】しぶとく生きていますか?⑱

 内地から来た松江という男が庶野にやってきたのは、ほんの二カ月前のことで、庶野に一軒しかない山田旅館に投宿していた。
 金が底をついたと見えて、その旅館を出ざるを得なかった。
 すでに夏も終わり、秋が速足でやってくる。早晩、冷え込みは尋常ではない季節がくる。

 茂三と田所は、フンコツのその平屋の空き家に松江を住まわせることにした。役場の人間は良い顔をしなかったが、持ち主も判らない家なら住まわせてもいいだろうということになった。昭和初期の日本では、全てにおいて寛容だったのである。
 松江の面倒を、茂三が請け負うことになった。

 
「茂三さん! 夕べお化けが出た! しゃんしゃん」と、松江が、朝早く茂三の家に飛び込んできた。このしゃんしゃんも、早く という意味らしい。

 茂三に連れられてはじめてフンコツに来た日の夜は、茂三の家で歓迎会なる催しを行い、松江はしこたま酒を飲み、茂三の家に泊った。

 次の日からフンコツの人たちが総出でその空き家を修理し掃除をした。そして三日目、松江は初めてその家で寝た。

 お化けが出た詳細を聞いてみると、
 あの晩、早めに寝た。夜中に目を覚ました松江は、尿意をもよおし、その家の外にある便所に行った。寝ぼけていたせいか、ふらつきながら玄関の戸を開けると、便所の方で何か物音がした。波の押し寄せる音に交じって、「ウーヒヒ」という声だった。気味の悪い声がする方向に目を向けると、人魂が空中に浮き、スーと松江のそばを通り過ぎ消えた。
 生来気の小さい松江は、ドスンとその場で尻もちをついてしまった。その後、気を取り直し、おずおずと家の外で放尿し、家に入って寝床に入ったが、恐ろしさで一睡もできなかった。
 夜が白み始めた頃、居てもたってもいられぬ松江は、茂三の家まで走り、茂三を叩き起こしたらしい。

 松江の話を聞いた茂三の女房の淑子は、大笑いをした。
「松江さん、わたしなんかは、しょっちゅう火の玉を見るよ。
 この辺は、海で亡くなった人たちの霊が集まりやすい場所だ。昔からそうだ。あの百人浜でも昔、時化で船が難破してたくさんの人が打ち上げられた。その後も襟裳岬沖では、大勢の人たちが死んでいる。その人たちの霊がここに来る。生きている人に悪さをしないから、ほっといていたほうが良いよ」
「しかし奥さん、俺おとっちゃまだよ」と松江が言うと、
「おとっちゃまというのは何のこと?」と笑みを浮かべながら松江に聞いた。
「俺の田舎のことばで怖がりとか臆病ものといいます」
「お前、大人だろ、しっかりしろ、松江」と茂三が窘めた。

 それからというもの、松江は夜、眠れないと見えて、段々やせ細ってしまった。しかし、他に行き場のない松江は、じっと耐えるしかなかった。

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