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【連載】 還らざるOB(8)

 日本人の遺体が日本に戻ったのが、あの忌まわしい事故の日から二三日経ってからであった。ただ彼ら四名の遺体は戻らなかった。その後三ヶ月が過ぎ四名全員の死亡認定がされたのであった。その後、合同慰霊祭が東京で行われた。
 東京近郊から、新賀、信木、中田、羽田、そして九州から三菱、横浜から平崎、仙台から海名がかけつけた。
その夜、七人は錦糸町のあの居酒屋にいた。言葉数は少なく、物思いに沈んでいたが、店のママが、彼ら四名の思い出話をした時、皆は下を向き、必死に涙をこらえていた。
これから残りのメンバーで度々国内旅行でもしようと話し合った。それがせめてもの彼らに対する供養だろうと考えた。そして、旅行をしながら、彼らの思い出を話そうと語り合った。居酒屋の前に公園がある。その公園の小振りの枝垂桜は春ともなれば見事に花を咲かせる。その晩、その桜の枝々がゆらゆらと風に任せて、何か寂しげに揺れていた。
 
 
 二泊三日の旅行であった。
 台北に着いたその日は、鼎泰豐(ディンタイフォン)で昼食をとり、龍山寺でエネルギーを注入した八人はいたって元気だった。その後淡水に移動し、屋台で食べ歩きをした。
 その夜、田川が腹痛をうったえた。野森が持参した日本の正露丸を多量に飲ませ、何とか収まった。
 二日目は、国立故宮博物館の展示物を見学。昼は近くの料理店で台湾料理を堪能した。午後から九份に移動し、街並みを観光した。皆は感動していた。
 三日目は、日本へ帰る日であった。午前十時にホテルをチェックアウトした四名は、観光もせず、林森北路にある店で、昼ご飯兼用の飲み会を挙行していた。
 
台北桃園空港をその日の午後一番に日本に向け出発する飛行機があった。彼ら四名は、その飛行機の出発時刻が近づいているにもかかわらず、その店で宴会を始めたのであった。
台湾のお酒(高梁酒)はアルコール度数が高い。野森、佐枝、小平の三名はかなり酩酊状態であった。つまり時間の経つのも忘れるほど飲みすぎた。
 通常であれば、その中の誰かがフライト出発時刻を気にしているのだが、よりによって野森がその時酔いつぶれ眠ってしまった。旅行日程の一切を野森に頼っていたほかの三名は飛行機の出発時刻が近づいていることなどすっかり忘れ、飲んだくれていた。田川だけはアルコールを飲んでいなかったが飛行機の出発時刻を失念していた。
 そして、居酒屋で些細なことから田川が見知らぬ台湾の男性と口論となり、他の三名と目が覚めた野森が喧嘩に加勢したため、大立ち回りとなり、五人の相手グループに怪我人が出てしまった。地元の警察官が多数出動し、彼ら四名は全員逮捕され、台北北警察署に留置されてしまったのである。そして、彼らが乗るべきはずの飛行機にも乗ることが出来なかった。
 

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