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熊雄(連載⑧)

 熊雄が中学生になって、二年生の春も過ぎようとしたころ、家の前の波打ち際の岩場の水たまりに、ゼニガタザラシの子供が迷い込み、抜け出せないでもがいているところを、熊雄は助けて大海原に戻してやった。
 そのアザラシの子供と会話をしたのであろうか、家に帰ると母親のヨシに興奮気味にその一部始終を話し始めたのだった。
「母さん、アザラシのコッコを、沖へ逃がした」
「どこにいたのさ」
「そこの岩場の水たまりの中で、もがいていたんだ。その子供が言うには、親とはぐれ大波にさらわれて、水たまりにはまり、抜け出せなくなって泣いていて、出してくれと言ったんだよ」
「お前どうして、そのアザラシがそこから出してくれと言ったことが分かったんだい」
「俺には、その子供の言葉が分かるんだ」
「冗談は止してくれ!」
「本当だよ!」
「そしたら、家で飼っている、山羊の言葉も分かるのかい」
「もちろんだよ! よく二人で話しているよ。こないだ、その山羊が言うには、俺が生まれて、母さんの乳が出ないとき、山羊の乳を飲んで大きくなったんだよと教えてくれたよ」
 ヨシには、熊雄の言っていることが、信じられない。
「とにかく、父さんがもう少しで漁から帰ってくるから、その時話して聞かせなよ」と母親は家事の手を忙しく動かしながら言った。

 その晩、達雄が漁から帰ってきた。
 コンブ漁だけでは食っていけないので、たまに知り合いの船に乗せてもらっている。その日は両手にたくさんの魚を抱えて帰ってきた。
 ミカン箱で設えたテーブルの周りに座り、遅い晩御飯となった。
「父さん、今日昼間、熊雄がアザラシのコッコを助けたとよ」とヨシ。
「熊雄、お前またそのアザラシのコッコとなんかしゃべったべ」
「あれ、父さん、熊雄が動物としゃべれるの知ってたのか」
「あぁそういえば、お前には話してなかったな。確か熊雄が小学校さあがった時、山さタケノコ取りに行ったべさ。ヒグマと遭遇して、その時初めて熊雄が動物としゃべれることを知ったのさ」
「なして、その大事なことを俺さ話してくれなかったのさ!」とヨシはふくれっ面をした。
「なぁ熊雄、お前動物となんでもしゃべれっぺ、そうだろう」
「んだな」と熊雄は応えた。

 達雄とヨシは、今後この熊雄の能力を世間に公表せずに、何もなかったようにしておこうとしたのである。
 その後、熊雄の体毛は相変わらず生えたままであったし、動物との会話についても三人から一切他人に漏れることもなく年月は経って行った。
 

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