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【掌編小説】老いたシイラ

 
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 秋分も過ぎ、涼風が心地よい。
 その日の午後、私は、書斎でおもむろに本を開いた。
 
 時代小説を読み始めてほどなく、妻が買い物に出かけると言い出した。
 小一時間は帰ってこないだろう。

 さてどうするか。

 近くに置いてあったアコースティックギターをたぐり寄せ、アルペジオの練習を始めた。
 ギターは始めたばかりだ。それもどこかに習いに行くわけでもなく、教則本を見ながらぎこちなく練習する。
 ギターを取り出してまだ一週間も経っていない。これもボケ防止の為であると考えるが、そればかりではない。
 若い時分、クラシックギターを会社の寮の部屋でボロンボロンと弾いていた。それ以来だ。

 二〇二〇年からの約三年間、コロナ禍で外出は億劫になり、この年齢でギターを始めた。爪が伸びてきたので切った。左手の爪を五本とも切り、右手の爪は親指だけ切った。他の四本の爪は伸ばしたままにした。
 妻は日頃、新聞紙を広げ、そのうえで切るのよとうるさい。

 ところで、自宅にこもっていると、何かと電化製品を使用することが多い。
 家じゅうの物が、殆ど電気が必要な物ばかりだ。
 つまり、今の生活様式がことごとく電気に依存した活動になっている。それ自体を否定するものではないが、近世以前は勿論電気のない生活様式であったのだ。
 私が過去の生活様式の中で繰り広げられる物語=時代小説を好んで読むのは、不便な?世の中での出来事を好むことによるのだろうか。
 
 次の日、妻と二人で野暮用があり出かけた。
 最寄りの駅から四つ目の駅まで行く予定だった。
 電車が来たので乗りこんだ。
 昼近くで車内は空いていた。
 妻が先に車内に乗り込んだ。
 私は妻の後ろについて乗り込んだ。この動作も一呼吸置くのが良い。いつもは私が先に歩き、妻が後ろからついてくるのだが、先般、外出した時、
「貴方は私の歩くスピードに合わそうとしない。昔からそうだ」と説諭された。
 昔の男性はそうだったように記憶しているが、
 私がそう妻に言われるとは、露ほども思っていなかったので、ショックだった。

 空いている席のどのあたりに座るのか、興味を抱いたが、なかなか座らず、その車両の端まで歩き、シルバーシートに座ろうとしたので、
「ここ?」と、私は思わず言った。
「私たちはシルバーよ」と言われた。
 私は、シルバーシートは遠慮している。どうしてか?自分はまだ若いと思っているかもしれない。そのような考えが無意識に態度に出てくるのかもしれない。

 座ったはいいが、通路を挟んだ向かいの座席にガタイのいい、三十前後の厳つい男が、独りで三人掛けのシートを占領している。
 コロナ禍の中、マスクもしていない。スマホを盛んに弄っている。

 次の駅で、杖をついた爺さんが乗車してきた。そして、その座っている男に向かって、
「君!僕にも座らせておくれ」と言った。
 その男はスマホから目を上げ、
「嫌だね!向こうの空いている席に座りなよ」と言った。
「ここは、私の座る場所だ!」とその爺さんは大声を出した。
「あっちへ行け」とその男は、爺さんを威嚇した。
「だめだ、君が移動したらどうなんだ!」と爺さんは顔を真っ赤にして怒鳴った。
 一触即発の険悪な雰囲気の中に私達二人は居合わせた。
 正直、この嫌な状況から早く脱したい気持ちだった。妻のほうに目をやると、拘らないでと私に目配せした。ここで、私がしゃしゃり出ると大きな騒ぎになりかねないと思い、様子を窺うこととした。

 爺さんと若者は一歩も譲らない。既に二駅ほどやり過ごした。次が降りる駅だ。
「爺さん、うるせえんだよ」
「君は、どうして意固地なんだ」
「判ったヨ!」と言って、その若者が席を立って、他の車両に消えた。その爺さんは、
「マスクをしなさい」というのを忘れなかった。

 私たちは、ほっと胸を撫で下ろした。
 シルバーシートに座った爺さんは、何事もなかったように、満足げに座っていた。

 電車を降り、歩くスピードに気を付けながら、妻と一緒に歩き出した。
 なぜか二人とも無言だった。

 その日は、外食した。
 料理が来るまでの間、妻が私に、
「大変だったね。そういえば、優先席付近ではスマホの電源を切らなくちゃね」と言うので、「昔はスマートフォンという便利な道具はなかったね」と私が言うと、
「あなた、いつの時代のことを言っているの」
「江戸時代かな」と言うと妻は、「うふふ」と微笑んだ。
 
 私達は日常生活の中で、ほとんどが電気に頼っている。
 電気が無ければ普段の生活が出来ない状態に陥ってしまう。

 三年ほど前になるだろうか。
 北海道で胆振東部地震による電力の供給と需要のバランスが崩れ、大規模な停電事故があった。
 道内すべてがブラックアウトになってしまったのである。大変な事故であった。夜は真っ暗、テレビも観られない。
 電化製品は全て使用不可に陥った。病院や公共施設などは、自家発電装置というものがあり、停電でも少しの間はそれで代用する。
 あの夜、国際宇宙船から日本を眺めたら、北海道だけが抜けた奇妙な日本の姿が映し出されただろう。

 私が生まれ育った、北海道の襟裳岬では、昭和三十年頃までは、電気が開通していなかった。
 両親も含め私達姉弟は電気の無い中で生活していたのである。
 夜になるとランプを灯し、燃料が無くなれば蝋燭の灯りで過ごした。テレビジョンはもとより無い。ラジオを聴いていたのだろうか。
 蓄音機のハンドルを回して当時の歌謡曲を聴いていたようだ。楽しみがほとんど無いに等しい生活の中では、お盆や正月に込めた思いは強かった。

 今でもあるだろうか、札幌のススキノにお盆の盆と、正月の正をとった、『ボンアンドショウ』という名のスナックがあった。
 それだけ、昔の人は、年に何度もないイベントを楽しみにしていたように思う。
 現在はどうか。
 電気の恩恵にあずかりながら毎日がボンアンドショウなのだ。
 現代人はそれに慣れ親しんでいる。
 いつかはそのつけが来るだろうと思っていたら、二十一世紀初頭に、二酸化炭素の異常な排出によるとみられる温暖化の影響で大きな風水害が襲ってきてしまった。
 経済生産と温暖化による災害は、反比例するようだ。
 奄美大島の人たちは、魚を採るにしたって、自分たちの食べる分だけ採り、それ以外は採らない。
 ある面生活に必要分以外は、動植物を摂取しないのだ。アイヌの人たちもそのような生活をしていた。
 便利さも良いが、あまりにもその代償が大きい。
 
 人の体は年とともに老いるが、心までは老いはしない。「なにくそ」という気構えと長い人生の澱が混ざり合い、一種独特の味が出る。シイラの肉よりも美味しい味がするかもしれない。

 ある日のこと、私は自分の年齢を忘れてしまった。その日がやって来ようとは露ほども思わなかった。

 
 茶の間で、テレビを観ながら、この歌手の名前は誰だっけ?とかその俳優の名前は?とお互い聞きあう。
 二人とも思い出せない事が、年を重ねるほどに多くなった。
 とうとう私も焼きが回ってきたのかと、じっと手の皺を見つめてしまった。
 
                                                                                                           了


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