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【初小説】僕らのセンチメンタルジャーニー②

「ヨーコさん。目覚ましとか、かけないんですか?」
 ヨーロッパのとある観光地。
宿の玄関を出ながら、眼鏡をかけたボサボサの黒髪の青年が隣の女性に話しかける。
2人は昨日、宿のラウンジで偶然出会い、成り行きで一緒に観光することになった。
 時刻は10時。緯度の高いこの国では、冬の日照時間は短い。
この時間になって、ようやく朝らしくなってきた。
 しかし、旅人にとって時間は貴重だ。特に海外旅行では。
もう少し早く出発する約束だったが、ヨーコと呼ばれた女性の寝坊により出鼻から予定が狂ってしまった。
「なんで?今は旅行中だよ。仕事もない。今日は大きな移動もない。だから目覚まし必要ない。君こそ、今は学校休みでしょ。もっと気楽に過ごそうよ。」
 テンポよく、歌うように口ずさみながらヨーコは歩きだす。
彼女のロングブーツが、言葉のリズムに合わせて石畳の道をたたく。
冬の北国、行きかう人が縮こまりながら歩く中、彼女だけがさんさんと輝く太陽のような雰囲気を放っている。
「僕が、ひとりで行ってしまうとは思わなかったんですか?」
「昨日も言ったけど、ワタル君は“いい人”だからね。そんなことはしないよ。」
ヨーコがニヤリと笑いながら放った言葉は、ワタルの心にチクリと刺さる。
 この一言が今日、ヨーコと行動を共にすることになったきっかけだった。
そして、偶然にもそれは、ワタルが海外を旅しようと思ったきっかけでもあった。
忘れたいけど忘れられない、苦い思い出の扉を開ける呪文の言葉。
 先を行く彼女に追いつくと、ワタルは手元のガイドブックを開きながら話しかける。
「やっぱり最初は、街のシンボルの広場に行きましょう」
 ワタルは柄にもなく率先して歩きだした。まるで、過去の苦い記憶を振り切るかのように。

 ここは中世に貿易で栄えた街だ。今2人が歩いている旧市街は、特に当時の建物が保存されており、観光の名所になっている。
広場の他に、歴史資料館や大聖堂などの主要なスポットを回り終え、街を見渡せる高台の展望台にたどり着いた。
2人は柵に寄りかかり、街を眺めながら話す。
「ワタル君。今晩食べたいものある?案内のお礼に、私が奢ろう。」
「いいですよ。ガイドブック通りの案内なので、たいしたことしてませんし。」
「でも、行く先々で説明看板訳してくれたでしょ。英語得意じゃないから助かったよ」
「それでよく、海外旅行しようと思いましたね。」
「最近は翻訳アプリもあるし、何とかなるでしょ。それに……」
 ヨーコが少し言葉のトーンを落とした。ワタルは街の景色から視線を外し、ヨーコの横顔をそっと見る。
「どうしようもなかったんだよね。」
 そうつぶやいたヨーコの視線は街の方に向けられている。
しかし、その瞳はもっと遠くを見ているようだった。
 今までずっと明るかったヨーコの瞳に現れた一瞬の陰り。
ワタルはそこに、自分の旅の動機と似たものを感じた。
 
 旅の理由は人それぞれだ。
おいしい物を食べたい。きれいな景色を見たい。色んな人に会いたいetc……。
 しかし、必ずしもプラスの動機ばかりとは限らない。
 ”とにかく、ここじゃないどこかへ行きたい”
そんな衝動に駆られて旅に出ることもあるだろう。ワタルは後者だった。
「気持ちの整理がつかないときってありますよね。」
 ヨーコの横顔から街へ視線を戻し、遠くを眺めながらつぶやく。
 すると今度は、ヨーコが少し驚いた表情でワタルの方へ振り向く。
彼女は展望台の手すりに肘をかけ、品定めをするような視線でワタルを見る。
「やっぱり君も、同じ穴の狢かぁ。」
「その表現は、少し語弊がある気がするんですけど。」
「でも、どうしようもなくて飛び出した。」
「そうですね。」

 冬の北国は日が傾くのが早い。15時を過ぎ、だんだんと薄暗くなってきた。
「寒くなってきたね。とりあえず、どこかお店に入ろっか。」
 そう提案しながら、彼女は街に向かって歩き出す。さっき一瞬垣間見た陰りは消え、明るいヨーコに戻っていた。
 いつまでも過去を引きずっている自分は長い夜のようだ。
いつかヨーコのように、表面だけでも気持ちを切り替えることができるようになるだろうか。
そんな、憧れを頂きながら、ワタルはヨーコの後を追いかける。

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