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自分の人生で、いちばん幸せな時はいつなのか。

これまで生きてきた日々の中で「いちばん幸せだった時はいつですか?」って聞かれたら、何と答えますか?


私は…はっきりわかりません。
40数年生きてきたけれど…


決して卑屈になっているわけではなく、ずっと辛い人生を生きてきた訳でもない。


今日過ごす家もあるし、温かいご飯もある。
家族もいる。仕事もある。


生きるための衣食住は、じゅうぶん満たされている。社会的な居場所もある。
今現在、社会的人間関係に大きな問題があるわけではない。

見た目と現状の生活からしたら、十分に幸せ。なんだと思う。



けれど、幸せをどう感じるかなんて、人によって違う。 

今は幸せというか、不自由のない。ありがたい。と言った方が、適切な気がする。  



きっと今の自分は、どこか、何かが満たされていない。

 幸せとは、心が満ち足りていること。

Wikipedia



例えば夫婦2人でいて、一方は幸せだと思っている。でももう一方は思っていない。

結婚をしていなくても、一緒にいる今が、互いに幸せだと感じている。


この2択であれば、幸せなのは、後者だろう。
互いに同じ気持ちを共有している。心が寄り添い、通じている=心が満ちる。から。

学生の頃は、楽しく充実した時間だった。これを幸せな時間と言ったら、そうだと思う。

心も身体も満たされた、初めての人。大好きだった人。もしあのまま一緒になることができていたら…ずっと幸せだったのだろうかもう、わかる術もない。

今の夫婦関係だって、本当の胸の内は、互いにわかっていない。おそらく。



望めど、求めど、どうしても手に入らないことがある。それは、どうにもならない。


きっと生きていく上で、どんな時も、全ての場や人とのつながりにおいて、オールハッピーはない。

つらい経験なんて、できればしないほうがいい。けれど、そんな経験がある、あったからこそ、守ろうとしたり、尊く感じたり、自分の糧になっていることもある。経験という人生の学びなのか。神様のいたすらなのか。交わうことのない運命だったのか…


時に負の感情に押しつぶされそうになり、目の前が真っ暗になることがある。でも、よくよく探せば、小さなちいさな幸せは、目の前にもあるはずだ。

だから、悲しみや寂しさで心を埋めつくさぬよう、小さな幸せの体積を増やしていけば、きっと心は幸せ寄りになる。


「シャンパンタワーの法則」のように、まずは自分を満たす。なんて、そんな簡単できるか!!!って思う反面、誰かに満たしてもらうのではなく、自らが心豊かになろう。そうあるよう、意識した行動をしていこう。
気持ちのコントロールは、自分で舵をきれる人でありたい。



冒頭の自らへの問いは、命が終わる時。長い人生の日々を振り返り、あ。結局私は幸せだったな。と感じることができたら、幸せな人生を生きられたのだろう。



時に相手に寄り添い、自分の心を感じるままに寄せながら、幸せだと感じる時間や関わりを繋いでいけたら、いい最期につながる。かな☺️


綴りながら、内省。

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