「一生ものの人間力をそだてる」視点から時代を読む

 令和元年度は入試改革の混乱、文部科学省の失態として記録される年度になるかもしれない。そもそも入試改革のいきさつを振り返ると、大変懸念される問題が浮き上がる。2000年代に入りOECDが実施する学習到達度調査(PISA)で読解力や理数のリテラシーにおける日本の順位が低下した。まずこれが教育改革の原動力となっている。また、AIの台頭やネット社会の進化を想定したソサエティー5.0社会の到来にむけてイノベーションを作り出す人材育成が急務であるとする産業界の要請が教育に圧力となって押し寄せている。(人材という言葉は教育にそぐわないという先生は多い。私もそのひとり。我々は様々な意味で社会の構成メンバーとして各自の資質・能力において期待され求められる立場にある。一方、社会に「材」として貢献しようがしまいが我々は内的に固有の人生を歩む存在でもある。アプリオリに人は豊かな人生を歩む権利がある。そこには材という概念はあたらないと考える)この混乱を機会に新学習指導要領が提示された経緯を文部科学省のHPで調べてみた。アクティブラーニングはまず大学教育での主体性を鍛える場面で登場してくる。それがなんの検証もないまま初等中等教育の世界に右へ倣えと無批判に浸透していく。高等教育での対話や議論を中心に据えた授業、たとえばマイケル・サンデル教授の「白熱授業」は理想の形といえる、高等教育(大学教育)では!一方、カルフォルニア州にある「ハイテックハイ(HTH)」という高校は課題解決型学習(PBL)を中心に据えたカリキュラムで教育を行っており、その先進性を求めて世界中から視察が絶えないそうだ。アメリカはPISAでは上位国ではないが大学教育の圧倒的な充実(入学後の教育!)やHTHのように各州、各高校、各教師が信念を持って多様な教育手法に邁進している。また、制度として多様性を保障している。そろそろ、何が言いたいかまとめたい。変化の時代、教育とはどのライフステージでも豊かな人生を生きていける基礎力を養う活動である。それは固有の一人ひとりに向けられたものでなければならない。その手段は教育を司る教師の信念や実証的裏付けがあってなされるべきである。人間はどのようなとき変化するのか。どのように気づき、努力し変わろうとするのか。それは前線の先生方が一番わかっておられる実感である。私は絶えず自問する。一生ものの人間力とは3つにまとめられる。一つは読み書きそろばんに形容される本当に役立つ基礎学力、二つ目は自己管理力や他者と協働できる力など4つの基礎的・汎用的能力、そして3つ目は自分の生き方に一貫した柱を持つことである。具体的には自分の人生には意味があると思える思想の確立。小さな(大きな)成功体験に根ざした自信に加え、この生きてある世界と自分の立ち位置、構造を把握しているという揺るぎない確信を有すること。これに尽きる。今年度も本校の特色と教職員は持てる力を結集して教育活動を展開しました。「一生ものの人間力」は生徒諸君と全教職員、そして保護者や地域社会の方々との継続的で濃密な関わりで育ちます。学校誌にはその記録が綴じられています。今回より1年間の教育活動の記録に加えて教職員による実践の記録(研究紀要)も掲載する運びとなりました。本校の着実な歩みと未来への進化をめざして末永く活用していただきたいと思います。この原稿とまとめにかかわられた皆様に感謝申し上げます。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?