オタクと終活とゴミの話。

 1970年生まれの僕も、そろそろ終活というものを考えなければならないな、と思うようになった。既に50歳を過ぎた、独身で、非正規雇用の根無し草だ。

 「終活」なんてことを考えるようになったのも、まぁ独身のオタクであれば50歳を過ぎると漫画やゲームの物量が増えて処分も出来ず「うっかり死んだ時に困るな」と思う事もしばしばだろうが、僕の場合はそのリアルを目にした事も大きい。

 非正規雇用…と言えばまだ真っ当な仕事をしているかのように響くだろうが、実際のところは日雇いアルバイトだ。オタクの中二病の僕は1990年代初頭の就職氷河期に直撃してコテンパンに道を踏み外してしまい、僅かな職歴しかない真っ白な履歴書が恥ずかしくて実家に引き篭もり、親の介護のような事をしつつ在宅ワークのフリーランサーとして昼夜を問わず作業した。
 …「在宅ワーク」「フリーランサー」? なんと御立派な言葉だろう。僕がそれを始めた20年前にはそんな言葉も無く理解も無かった。もちろん僕はただのオタクでしかなかったのでフリーランサーとしての収益は一度も税務署のお世話になる事のない微々たるお小遣い程度だった。父親が亡くなり介護のような事の負担が少し減ったのを機会に、僕は乏しい貯金を軍資金に実家を出て、アラフィフをフリーランス最後の挑戦と意気込んで安アパートでの一人暮らしを始めた。その貯金が尽きたので、渋々日雇いアルバイトを始める事となったのだ。

 50歳を過ぎての日雇いアルバイトは、もうすぐ2年になろうとしている。
 僕は「アルバイト」を始めたつもりだったが、実際には「派遣会社登録」となっていた。就職氷河期に翻弄された挙句に実家に引き篭もっていた僕は、1990年代後半あたりに派遣会社が増え始め、いまでは派遣会社からバイト仕事を紹介してもらうという事が一般的になっている事を知らなかったのだ。

 そんな世間知らずの僕だが、日雇いバイトには僕のような世間知らずの中高年もそれなりにいて、僕のような引き篭もりのポンコツでもそれなりになんとかなっている。もちろん真面目な派遣会社ではそうではないかもしれないが、僕が登録してしまった会社は履歴書不要で雇ってもらえるド底辺派遣だ。人員が足りない時には頭数を揃える為に僕のようなポンコツでも仕事が廻ってくる。故に色々な現場に行く事となった。僕はただのオタクなのに。


 そんな日雇いバイトで、産業廃棄物の分別の仕事を半年ほどやる事となった。

 「産業廃棄物」と言っても、要するに家庭ゴミでは収集していない、お店や会社から出たゴミを焼却するかリサイクルするかに仕分ける作業だ。

 この作業では決まった会社から定期的に来るゴミの他に、時々しか来ない会社のゴミが来る。その「時々来る会社」の中には引っ越し業者もあり、引越し業者というのは引越し以外の仕事もやっていたりする。

 引越し業者の引越し以外の仕事というのは、例えば家賃を支払えなくなった人の部屋を片付けたり、亡くなった住人の部屋を片付けたりする仕事だ。前者の場合は検察官立会いの元で家財道具を倉庫に運び出し適正に扱われるが、後者の場合は荷物の引き取り手が無い場合は全てゴミとして処分されるようだ。僕はゴミの分別のみが仕事だったので詳細なところは知らないが。

 そういったゴミはトラックで運ばれてきて、ゴミ山の前にぶちまけられる。そのゴミをかき分けて「プラスチックはリサイクルの山に」「電池や可燃物は専用のカゴに」と分別していく。

 トラックからぶちまけられたゴミを見ると、ゴミの持ち主の様子が垣間見える。例えばレンタルDVDの山であれば「そういえばあそこのレンタル屋が閉店したんだっけ」とか「このドラマシリーズは人気がなかったようだな」とか。旬を過ぎたテレビアニメのレンタルDVDもしばしば運ばれてきた。人気のアニメであってもレンタルの回転率がなくなったら処分されるらしく、90年代の傑作アニメも容赦なくゴミの山の中だった。中古販売価格で500円はするであろうアニメDVDも、廃棄物として運ばれてくれば「焼却炉で燃やす可燃ゴミ」でしかない。また仕事の信用に関わる為どれほど価値のあるアニメDVDでも持ち帰る事は出来ない。ゴミであっても元の所有者のプライバシーに関わる問題となるので、運ばれてきたものは全て処分しなければならないのだ。


 運ばれてくるゴミには、オタクにとって辛いものが多かった。
 例えばガンプラが品薄になっていた時期に大量の新品未開封のガンプラが運ばれてきた事があった。どこかの模型店が閉店したのか、積みプラを抱えたまま亡くなったモデラーさんがいたのかはわからない。MGのガンプラもあれば限定品のものもあった。個人所蔵のものであるならば多分「逆襲のシャア」あたりが好きな人であろう。その新品未開封の綺麗なガンプラの箱を僕は可燃ゴミの山に放り投げ、重機担当の人がブルドーザーで押し潰す。

 ゲーム関係も結構多い。初代ファミコンの美品やPCエンジンがソフト込みで運ばれてくる。ゲームショップが処分したにしては量が少ないので個人所蔵のものであろう。結婚や引越しで処分したようでも無いだろうから、この所有者もきっと亡くなったのであろう。ソフトのチョイスが初期作品ばかりなので、押入れにしまいこんだままだったものであろう。没後に親族が扱いがわからず処分したのであろう。なんと勿体無い。しかし運ばれてきたからには可燃ゴミの山だ。

 修理終了のニュースから僅か数ヵ月後だったと思うがニンテンドー3DSがゴミの中にあった。元の所有者が亡くなったとは思えない。大事にしろよゲーム機を!!! 僕の3DSの修理パーツ取りに欲しいけど、この廃棄物処理場に運ばれてきたら処分するしかないんだから!!! (ちなみに焼却処分にはならない。リチウム電池を取り出した後、本体はレアメタルを取る為のリサイクル工場に運ばれるらしい)

 他には1970~1980年あたりの、クラシカルなパソコン機器やオーディオ機器もしばしば運ばれてきた。日本が経済成長していた頃の素晴らしいデザインのガジェット、パソコンの進化の歴史の1ページ。こういったものは大学や施設で長く使われていたものであろう。経年劣化の割には状態が良い。スティーブ・ジョブスが復帰した直後のiMacが大量に運ばれてきた事もあった。なんと素晴らしいデザイン!
 しかし僕の仕事は、その処分だ。ブラウン管ディスプレイはハンマーで叩き割って、ガラスと金属を分別する。ブラウン管を割るだなんて「平成狸合戦ぽんぽこ」のメイキングでしか知らなかったのに。

 ある時には、漫画の原稿の山が運ばれてきた。描線を見れば描き手は女性だった事がわかる。いやそもそも絵柄は少女漫画だ。練習用のトレス原稿があり、オリジナルらしい描きかけの漫画原稿もあった。塗りかけのベタ、スクリーントーン。いまどきはクリスタでデジタル制作であろうから、この絵を描いた女性も亡くなったのであろう。ゴミの山をかき分けるとコピックとか大御所少女漫画家の単行本も出てきた。しかし僕に出来る事は可燃ゴミの山に運ぶ事だけだ。描きかけの漫画原稿の続きは見る事も叶わず、僕はその遺物をこの世から消滅させる仕事をしていた。日給は9000円。まるで悪魔に魂を打ってしまったかのような気分だ。


 その仕事は半年で辞めた。オタク関連のものを焼却する事が辛かったからではなく、その現場にいた社員の何人かがクソ野郎だったからだ。たった何人かでも相当キツイ。派遣社員は派遣会社に雇われた人間であって、派遣先の会社の人間ではない。つまりムカついても派遣先社員を殴れない。相手もそれを察してクズ度合いがエスカレートしていく。喧嘩などとは無縁のオタクの僕が殴りたいと思うほどである事から相手の人間性を察する事が出来ると思うが、本題とは関係ないので割愛だ。

 ゴミの処分場に運ばれてきたものは、オタクの僕がいてもいなくても必ず処分される。その前の段階で価値あるものがリサイクルショップ等に行けば良いと思うのだが、所有者が亡くなっている場合にはなかなかそのようにはならないらしい。

 勿論そういったものが運ばれてくるのは1ヶ月に数回程度だが、「毎月何回かは駿河屋で数千・数万円の値段のものが処分されている」という現実はそれなりにショックだった。目の前のレアものが救えない。欲しいものなのに焼却炉行きのゴミ山に積み上げる仕事。


 そういった仕事を経験したからか、ふと僕はこのnoteで「僕なりのオタク史」を書いてみようかなと思った。

 アニメDVDやゲーム機が焼却処分されていくように、いずれ僕も火葬場で焼かれる日が来るであろう。独身未婚のまま50を過ぎたオタクはメンタル面も色々と鍛えられているので死ぬ事はそれほど怖くはなくなっているが、記憶や知識がログとして残らないまま焼却処分の日が来るのは少々不安を感じてしまうからだ。


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