ドグラ・マグラ感想

ドグラ・マグラを読んだ。
いつか読もうと思っていたが、忙しかったり自律神経をぶち壊されたりなどしてなんだかんだ一年間本棚に眠らせていたものを引っ張り出した。
ドグラ・マグラと調べれば、読めば精神に異常をきたすだ三大奇書のひとつだなどといった下馬評が数多く目に入る。
無論自分もそんな評価が気になってこの本を買った。
本屋で実物を見た衝撃は凄まじかった。
芥川龍之介やら宮沢賢治やと同じコーナーであるにも関わらず、陰部を露わにした目が虚ろな女性が表紙に描かれていたのだから。
そんな衝撃を脳と意識に受けたまま本をレジに持って行ったまだ穢れが少なかった高校生の自分。そんな自分を店員は冷ややかに見つめていたようにも思える。
確かに受験を間近に控えた学生がそんな本を買おうとしていたら呆れもするだろう。
そんなことを思いながら本を手に取り、表紙のカバーを剥ぎ取る。
写実的な絵には興奮しない。二次元オタクの悲しき宿命。
萌え絵であろうとも間違いなく剥ぎ取っていたと思うが。
そして現れる文字と簡素な装飾だけの表紙。
完成されたシンプルさに満足して、いよいよ本文を読む。
とにかく文字が多い。文庫本のページ中に所狭しと文字が刻まれている。
そしてそんなものが400ページ程度続き、そのうえ下巻まである。
その後の展開に胸を膨らませながら、ページを捲る。それが約400回続いた。
結論から言うと、極めてつまらなかった。
面白さを見出すのに途方もない手間がかかるとも言えるのかもしれない。
そもそもギチギチに文字が詰め込まれていてスムーズに読み進められるかというと、
絶対にそんなことはない。間違いなく疲れる。実際疲れた。
一度疲れようとも、時間が経てば普通はまた読み進めようとするだろう。
しかし、これは文章の体裁がとっ散らかっており、極めて読みづらい。
具体的には小説、論文、歌、インタビューなどだ。
それらがぐちゃぐちゃに入り混じっており、内容理解が至極面倒だ。
内容自体も突飛なものであるため記憶しづらく、疲れようとも無理矢理読む羽目になる。
そんな苦痛も堪えて、最後にあるかもしれない劇的な展開を期待して読んでいたが、パッとしない終わり方だった。
その終わりにも意味があるかもしれない、ともう一度読み直そうとも思ったが、もう一度あの苦痛を、しかも現時点で無意味なものであったと思ってしまっている苦痛を二度と味わいたくはなかったため、再び本棚の奥深くに封印した。
読み終えれば精神に異常をきたすのではなく、読み終えられるような人は皆頭がおかしいのではないかとも思った。
図らずもまた自分の中途半端さを思い知ってしまった。
自分の正気度を測るためにも一度読む意味はあるのかもしれない。

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