荻原朔太郎vsクトゥルフ

「月に吠える」を読んだ。なんなら初めて詩集を読んだ。なぜ初めての詩集に月に吠えるを選んだかというと、理由は簡単。「死なない蛸」が読みたかったから。「死なない蛸」全体に漂う不気味さ、自己の体を貪るという冒涜的な描写、その結果消え去りながらも「永遠にそこに生きる」という荒唐無稽ながらもその結果もあり得るかもしれないと思わせてくる雰囲気、蛸というモチーフ自体にクトゥルフを連想したから。
そんなことを思いながらこの詩集を読み始めたものだから、実際は恋々とした内容の詩も多く驚いた。なんならクトゥルフ神話的な詩は当然かもしれないが少なかった。題名から「触手ある空間」に勝手に期待を膨らませていたが、2行で終わってしまっていて肩透かしを食らった気分になった。いやまあ冷静に読んでみればあれはあれでいいんだけども。
そもそも考えてみればクトゥルフ神話自体そんなにおもしろくないのでは?ラヴクラフト全集は全体的に読みづらかったし、ラヴクラフトの周囲の人々によるアレンジがなければそれほど評価されずに終わったのでは?
これ以上はやめておこう。少なくともあのとんでもなく大規模かつ生臭い不気味さに魅了されているのは事実だ。それに作品自体の評価に作品以外のものを混入させるのは控えるべきだ。
詩集についての話に戻ろう。
「月に吠える」を読んで気に入った詩がある。「春の実体」だ。
春の豊かさが虫の卵とともに描かれているのが新鮮に思えて面白かった。特に「桜のはなもこの卵いちめんに透いてみえ」が気に入った。その花の可憐さや儚さに注目されるのが常である桜が虫の卵とともに描かれるギャップが面白かった。
とはいえ詩にはもっといい読み方があると思う。初めてだから仕方ないとはいえ折角文系に所属しているのだから詩が読めるようになっておきたい。次は宮沢賢治の詩集を読もう。


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