「好き?好き?大好き?」と反省

「好き?好き?大好き?」を読んだ。
次の詩集は宮沢賢治と書いたが、あれは嘘になった。
宮沢賢治詩集を買いに行ったら本屋に売っておらず、代わりに本書と「結ぼれ」を買ったからだ。なぜ本屋が宮沢賢治詩集を差し置いて「好き?好き?大好き?」と「結ぼれ」を売っているかというと、間違いなくにゃるらさんの影響だろう。本屋に置かれる詩集の種類を増やしてくれてありがとうにゃるらさん。つぎは宮沢賢治をてーまにしたさくひんをつくってください。
さて、「好き?好き?大好き?」を読んでみての感想だが、よくわかりませんでした!
まって、殴らないで、「どうせお前NEEDY GIRL OVERDOSE に名前出てたから買ったけど実際は内容に興味ないんだろ」とか言わないで。
確かにニディガに多大な影響を与えたというのが気になって買ったのは事実だが、別に攻められることは無いだろう。これはオタクの性であるため自分はミーハーではない。決して。
自分が本書の魅力を理解しきれなかった理由は、ひとえにR・D・レイン氏について自分が無知であることに起因すると思う。荻原朔太郎詩集については、荻原朔太郎と同じく日本語を使っていることや自分がいわゆる文豪と呼ばれる方々の作品を多く読んでいるから理解できたのだと思うが、レイン氏の作品は違う。自分は余りにも原典が英語の作品について無知すぎる。
いくら日本語に訳されているとはいえ、それでは魅力が理解できないのも当然だろう。詩はデリケートなのだから。
というわけで、レイン氏の思考を少しでも理解するために「引き裂かれた自己」を読もうと思う。それまで「結ぼれ」には本棚で眠っていてもらう。今すぐにでも「引き裂かれた自己」を読みたいところだが、本屋に売ってなかった。本屋には速やかに「引き裂かれた自己」を販売することを求める。折角レイン氏の作品を売るのだから、本書も販売して然るべきだろう。

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