「時計仕掛けのオレンジ」の仲間たち

「時計仕掛けのオレンジ」を見た。見たが…。なんだったんだあれ。
薬物、暴力、窃盗、性暴力、果ては殺人。これら全てが作中で行われるような作品がおそらく当時の映画館で上映されていたと考えると凄まじく思えてくる。
あといくら刑務所とはいえ聖書で抜くってなんなんだ。旺盛すぎるだろ。だからこそあんな犯罪をしたわけだが。
 おそらくこの作品のメインはルドヴィコ療法を受けたあとのアレックスの苦悶だが、ここはあえてアレックスの仲間からの孤立について書く。
 まず、アレックスとその仲間は最初は同じ目的で行動していたように見えるが、その実行動理由は全く異なっていたかもしれない。
アレックスはただ薬物により呼び起こされる己の衝動に身を任せていた。これは間違いない。ならばその仲間たちはというと、居場所を求めてアレックスと行動を共にしていたように思える。それならばただアレックスの言うことにただ従っていればいいように思えるが、彼らが求めていたのはそんな居場所じゃない。自分を認めてくれる場所を求めていたのだ。
アレックスが犯罪(反社会的行動)を犯す→それに続いて自分も犯す→仲間が笑う
これによって彼らは自分が何をしようとも存在を認めてくれる仲間がいることを再認識し、安心していた。周りからすれば傍迷惑すぎる試し行動ではあるが。
 だからミルクバーでも先んじて歌手を茶化そうとした。きっと仲間たちはこの行動を認めてくれるし、それがただ一つのルールだから。
だが他でもないアレックスがそのルールを破った。歌手の方を褒め、仲間を杖で打ち据えた。
その上アレックスは先の暴力による不安から、仲間をナイフで切りつける。
 こうなってしまえばもうここにはいられない。これまでは自由だったはずなのに、一人の暴君がルールになってしまった。それに恐怖政治なのだからたまったものではない。
 というわけでアレックスは仲間に裏切られ、刑務所に入ることになる。
だが、アレックスには逮捕を免れる方法があった。
それは仲間を持たないこと。仲間を持たず、一人で好き勝手暴れていれば、仲間を信頼しなければ、分相応な悪虐で快楽を感じ続けられた。
 ならばなぜそれをしなかったか、それは分不相応な快楽に焦がれたからだろう。
人間は他者と行動を共にすることに快楽を感じる。快楽に忠実なアレックスだからこそ、それを理解してしまった。その快楽を味わってしまったからこそ、それを逃すまいと仲間を抑圧した。彼らは自分の目的のために相争っていた。
つまり ︎
✝戦わなければ生き残れない✝️

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