関東在住の大学院生が福岡移住に至る物語⑨

「報告の流れ」に沿えば、今日は⑤自立生活運動の現場での葛藤と疲弊、孤立…を書く順番だ。しかし、そこに入る前に、それこそ大学院の報告では省いたぼく自身の「とてもプライベートな話」をこのnoteには記そうと思う。

去年起きた安倍元首相銃撃事件のことを覚えている人は多いだろう。

あの事件のことを最初に知った時のぼくは、「日本でもこんなことが起きるのか!」「こんな日本の政府の要人が銃殺されるなんて伊藤博文以来じゃね?」「なんか、日本で暮らす、ということの前提がつきくずされるようだ…」と、とてもショッキングな出来事に動揺を隠せずにいた。

その事件から間もなくして、利用者の家に仕事で伺うと、やはりTVはその件で持ち切りだった。ショッキングな映像だし、利用者自身、相模原事件で実際に刺された人だ。こんな映像をみたらいろいろと障るだろうと思い、TVが垂れ流すストレスフルな映像にうんざりしていたぼくは、思わず利用者に「ねえ、チャンネル変えようよ」と提案した。

彼は、こちらの提案を意に介さず、TVが流す銃撃シーンも気にすることなく、「チャンネルかえない」などと返してきた。

そんな彼の返事にぼくはなんとも言えない気分になったのを覚えている。

思わず、「趣味悪いな~…」と口走ってしまったことも覚えている。

事件からしばらくした頃、ぼくはたまたま実家に帰る用事があった。
そして、そこで事件の顛末を父から聞かされることになった。

「この事件知ってるか?統一教会にハマった母親が借金作って、いまの協会のトップを狙ったけど無理だったから安倍さんが狙われたらしいよ」

統一教会…。
それはうちの母が40年以上信仰している宗教だった。
母の妹一家やぼくの兄(長男)一家が入信している新興宗教でもある。

「お母さんは、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなって入った遺産3000万円を全部、協会に寄付してたって知ってるか?」

母が台所で料理をしているそばで、父はぼくに語り続けた。

当時の心境をぼくはよく覚えていない。
ただ、あの事件の顛末を実家に帰った際、父から滔々と語られたのだった。

それに付随して、我が母が、山上被告の母親さながら、借金を創るほどではないが大規模な献金をしていた事実を知ることになったのだ。

奈良県で放たれた“凶弾”が我が家を掠めたような心地がした。



物心がついた頃から、「死にたさ」がついてまわっていた。
自分なんか「無力で無価値だ」。

狂ったように怒っている父と泣き崩れる母
ぼくをはじめとする幼い兄弟たちは、そんな惨状が繰り広げられるリビングという"戦場"から襖一枚隔てた子ども部屋で泣くことしかできなかった。

そして、“戦場”では上の兄弟たちがぼくらを守ろうと両親の間に割って入って仲裁しようと懸命に頑張っていた。闘っていた。

小さく、守られる対象でしかないぼくらは、泣くことしかできなかった。

しかし、じきにぼくは泣かなくなってしまった。
「泣いたところで目の前の“戦場”という現実は変わらない」ということをわかってしまったのだ。ぼくらがいくら泣こうが喚こうが、両親の争いは止まない。そう悟った時、ぼくは自分の感情を切り離してしまったのではないかと、長年思っていた。

ぼくの記憶ではぼくが泣かなくなった当時、3つ上の姉は、まだまだ泣きじゃくっていた。ぼくは年の割に物分かりがよかったのだろう。

「襖の奥で泣くことしかできなかった体験」は、ぼくの原体験のひとつだ。

小学校も高学年になる頃には、もう少し現実がわかるようになってきた。

父が怒声を挙げ、暴力的になる時、父は決まって母に「その宗教をやめろ!」と怒鳴っていた。そして、それに対して母は、「私は家族のために…」とか「もう辞めました」とかめそめそと泣きながらいうのだ。

泣き崩れながらこれらの言葉を吐く母の姿は、ぼくのなかでトラウマ的シーンとして完璧にインプットされている。ほかの兄弟がたまにその場面を再現するだけで、ゾワっとするし、やめてくれと落ち着かなくなる。

ぼくは、母を父から守れなかった。
襖の奥で上の兄弟に護られるばかりだった。
そんな無力な自分がイヤだった。

しかし、それから5年位経ち、現実がわかるようになってくると、どうやら母が「新興宗教」という父がこの世の中で最も忌み嫌うもののひとつを身にまとうことで精神的に執拗に攻撃し続けていたことがわかってきたのだ。

というのも、DVする夫と新興宗教に入信する妻という構図・関係性は、父の父母、つまりぼくの祖父母の世代から起きていた。

我が家は、DV夫と新興宗教妻という訳の分からない世代間連鎖を、2世代にわたって綺麗に形成していたのだ。しかも、その新興宗教も世代毎に異なるという鬼畜仕様。

我ながら情報が多い…。
父は戦後の混乱期に親からネグレクトをうけ、児童養護施設で育った時期もある人だ。そんな父は母を半殺しにするようなこともあったらしい。
そういうような関係のなかで、母も新興宗教に走ったのだろう。

いつだったか、母から聞いたセリフが忘れられない。

「婚約期間中にお父さんは、ほかの女の人とお泊まり旅行に行っていた。その頃から恨みははじまっている」

まるで理解ができなかった。
この人たちはなんで一緒に居続けているのだろう?
いまもってわからない。わかってしまってはいけないようにも思う。

この表現が正しいとは思わないが、統一教会というカルトと称されることもある新興宗教が我が家に巣食ってから40年は経っているだろう。

ぼくが生まれる頃には、母はとっくに入信していた。

母が父にぶちぎれられて、「宗教やめろ」と言われた後も、父のいない家のなかで文鮮明とその伴侶?が二人で映っている肖像に向かって礼拝をする姿を幼少期、何度もみた。

母が竜の彫られた白い壺に悪い気を集めている様子を何度も見た。

その集めた邪気は韓国への研鑚旅行?のようなものの際に寄るパワースポットで、良い気と入れ替えてくるのだとかいう説明も聞いたような希ガス。

自立生活運動の近くでこれまでのように闘えなくなったことと、安倍元首相銃撃事件と連動して我が家で起きたあれこれとはとても関連性が高いのだが、大学院の報告ではさすがに省いた経緯がある。

この件については、この表現はあるいは不適切でしかないかもしれないが、あの事件のお蔭もあり、だいぶ語りやすくなったように感じる。

しばらくはぼくと我が家と統一教会と母、そんなキーワードをもとにnoteを綴ろうと思う。

最初に立場を断っておくと、ぼくは統一教会を糾弾する気は全くない。
あれが「宗教ではない」という人たちの気分もよくわからない。
そもそもぼくには「宗教」がわからない。
いや、それも正確ではないかもしれないが…。

あの団体や教義などによって救われている人も確かにいるのだと思う。
あの事件は、狙われたのが安倍元首相になったこともあり、世間の耳目をひいたのはよかったと思う。だがしかし、あまりにも「問題」が「宗教と政治」にクローズアップされ過ぎたきらいがある。

ぼくとしては、結局、自分を苦しめた母親自身ではなく、その協会のトップやその団体とのつながりの深い社会的ステータスのある人物を狙わずにはいられなかった山上被告の心情などがより注目されるべきだったのではないかと思っている。

誤解を恐れずにかみ砕いて言えば、「世間的に理解を得られづらい信仰をもつ身内の存在が、家族、親子、兄弟関係に与える負の影響」にもっと注目が集まるべきであった。

ダメだ、言いたいことや書きたいことが多すぎるのでここまでで区切ろう。

次からは、奈良県で放たれた“凶弾”が我が家に直撃していく様を記す。

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