関東在住の大学院生が福岡移住に至る物語㉚

7月30日から福岡県民になりました

30日は神奈川で最後の夜勤を終え、20時に福岡市内の新居に着きました。

31日は、引越し荷物の搬入がありました。1日は役所に行って、住民票などの異動手続きをしました。2日は、大濠公園の方までサイクリングをしました。3日は、これから働く予定の事業所のひとつに面接に行きました。4日は、人に誘われ、水の祭典久留米まつりに行ってきました。

30日は福岡に着くまでの道中ずっと、『気流の鳴る音』を読んでいました。なんとか読了させ福岡という新天地に向かうぼくに一番印象に残ったのは、「<根をもつことと翼をもつこと>をひとつのものとする道はある。それは全世界をふるさととすることだ」(p. 170-171)というフレーズだった。

新しい土地はワクワクするし、刺激的だ。一方で、新しい場所には不安も伴う。新しい土地に入って行く時は、その慣れない刺激を自分の中に落とし込むためにエネルギーを使うような感じがいままではあった。しかし、福岡に来てから、知らない道を歩いたり、自転車で走っていても、そういう負担感が全然なかった。不安感もないし、疎外感もない。妙にしっくりくる。

これが福岡という土地のもつ雰囲気などに起因するのか、はたまた自分自身の変化なのかはわからないけども。お陰様で新生活に伴い、通常生じるストレスなどはかなり軽く済んでいるように思っている。けど、働き始めのタイミングとかはどうしようかな~と悩んでいたりもする。

新天地での生活楽しんで、けど、あんまり飛ばし過ぎず、体調には気を付けてねと何人かの人にお声がけいただいた。実際、関東を発つ2週間程前、ぼくは体調を崩した。喉を痛め、37.5℃位まで熱があがった。時間と気力、体力の許す限り、関東を発つ前に人に会おうと挨拶回りをしていた時期だった。

3日に面接させていただいた事業所の方にも、引越し立てで、しばらくふわふわしているだろうから、あと2,3週間位はまちをプラプラしていていいんじゃない?とアドバイスをもらった。福岡市という新天地で、精神保健医療福祉分野という新しい業界に飛び込んでいくことにワクワク感はあるけど、最初から飛ばし過ぎないようにというバランスを自分自身測りかねている。

関東を発つ前にいろんな人に会った。近況報告と関東を発つ前の挨拶を2回に分けて会った人もいた。ぼくの福岡移住のことなど知らずに久しぶりに連絡を頂いたのがきっかけで会うことになった人もいた。なんとなく連絡しづらかったけど、福岡移住をきっかけにこちらから連絡をして会うことになった人もいた。ぼくのFBの投稿を見て、会おうと言ってくれた人もいた。

お互いにわざわざ会う時間を作って、会う。それって、なんだかとても素敵でありがたいことだな~と思った。

ぼくの関東でのここ数年の生活では、コロナ禍や研究、現場の関係で孤立感が深まって行っていたように感じる。それで例によって煮詰まっていった。

今回、福岡移住をきっかけとして、本当に自分はどんな時もいろんな関係の中で生きてきていたのだな、ということを改めて実感した。それと同時に、つながりはあるのに、それを忘れて、孤立感を深めていた自分が恥ずかしくなったし、悔いた。9年前とかも、そうやって、ぼく自身自滅していった苦い記憶があるはずなのに…。当時のような自滅の仕方はしなかったけども、つながりはあるけどひとり孤立感を深めて自滅していく、というのは、自分のクセとしてあるのかな、と認識を強くした。

同時に、関東でのつながりはたしかにいろいろあるかもしれないが、どうしても「日常的なかかわり」みたいな要素が弱いような気がしてきた。それこそ、あえて、お互いに時間を作って会おうとしなくては会えないつながりが多い。自分のような人間には、「日常的なかかわり」を持てる良好な関係がたくさんある方がいいのかもしれないな、と思い始めている。

そして、それは福岡市で精神保健医療福祉分野でやっていく中で自然とひろがるんじゃないかな?という予感や直感がある。

関東を発つ前に会った人に電話で近況報告をすると、めっちゃ福岡での生活楽しんでるし、声もなんだか以前より元気そうだねと言われた。自分はたぶん、関係や環境から影響を受ける部分が人より大きい。

福岡という新天地に行くということは、従来の関係や環境から新しいそれへと切り替えることでもあった。関東を発つ前、兄(次男)に言われた。

「今回のやそらさんの福岡への移住は、やそらさんがより人間的な生活、生き方を求めて決断したことだと認識しているから賛成してるよ」

ずっと自分のことを根無草だと思っていた。
怒りや恨みを主たる活動源にして生きてきた。
最近はそういう感情を使う機会がほとんどないと実感している。

福岡で人間的な生活を送るなかで、少しずつ根を張っていけたらと思う。

自分が頑張って書き上げた修論がきっかけで、今がある。
ぼくの認識では、福岡への移住も「修論によるやそらの社会化プログラムの一環」なのだろう、位に考えているところがある。ぼくは以前(2022年12月31日)、修論に対してこんな風に祈った/懇願したことがある。

指導教員が言うように、「どうせ世に出したら影響力を持つようになるのであれば、せめて、ぼくがわくわくするような新しい素敵な出会いを少しでも多くもたらしてくれよと、今は、自分が書き上げたものに対して思う」。

世界は常に、予期せぬ出会いに開かれている。

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