一貫性の罠 縁を人質にする背教者は麻薬売人 奴隷 公平を拒むと地獄行き 全て逆らう罠
1、一貫性の罠
昨日、確信のない事を言うぐらいなら、誤解された方がマシだと言った。
世間の誤解を恐れて、確信していない事柄に対して、世間に迎合するような発言をすると、ドンドンおかしな方向へ引きずり込まれる。
一貫性を持たせようとするのが人間。
しかし、一貫性を持つように洗脳されているだけかもしれない。
一貫性にこだわる人間の将来の行動を予想しやすいから、サタン側は、人々が一貫性にこだわる人間になるように学校制度などを作る。
そして、サタン側にとって好都合な発言をする「一貫性にこだわる人間」を出世させて、中間管理職に仕立て上げて、社会全体をコントロールしやすくする。
管理者の立場になって考えれば判るけど、発言で将来の行動が予想できるなら管理しやすいため、一貫性で縛り付けた方が管理しやすい。
俺は、そんな表に出した自分の発言よりも、神に対する確信を優先する。
世間に迎合して発言の一貫性を持たせるよりも、神に対して確信した事なら過去の発言だろうが撤回する。
神に対する確信も、昔に確信していた事でも、新しく確信した事によって、昔の確信した発言を撤回する事もある。しかし、神に対する真摯さは一貫している。
神に対する真摯な一貫性は必要な一貫性である。
非信者の世間に対する一貫性は、一貫性の罠である。
サタン側が用意した何千何万ある罠の1つだろう。
何で非信者から「一貫性がある」と評価されないといけないのか。
そもそも、非信者とは挨拶してはならないのだから、非信者からの評価を気にしてはいけない。
まず、神からの自分への評価を最優先で考えるべきだ。
神の掟に反しない範囲内で自分の好みで生きていいけど、世を愛してはならないから世間に迎合してはいけない。
神の信者なら、神に対して真摯であればいいから、非信者に対して一貫性なんか貫いてはいけない。
非信者も、同類相手に一貫性を気にしていないで神を気にするべき。
自分に一貫性なんかなくても、この世では悪魔崇拝者が出世を気にして、一貫性で社会を運営するから社会は崩壊しない。
社会を非信者の一貫性で運営しても、政治家みたいに一貫性がない口先だけキレイ事の卑怯者は存在する。
あくまでも一貫性で運営しようとするだけで、一貫性を貫徹できるとは言っていない。
奴隷には一貫性で洗脳して、自分たちは一貫性を踏みにじる。
奴隷には法律を守らせるけど、自分たちは法律を破る。
だから、サタン側の要求する片務的な一貫性を守ってはいけない。
非信者たちなんか、誤解しなくても、自分たちの神に対する罪という不都合な真実を指摘されても、逆上して迫害と冤罪で殺しに来る。
イエス・キリストも、背教者たちの逆上で殺された。
非信者たちに誤解されないように一貫性を保っても意味がない。
非信者たちは、一貫性のある人を探しているのではない。
非信者はスケープゴートを探しているだけだから、スケープゴートにならないための努力で一貫性を保っても意味がない。
非信者は一貫性の考え方を悪用してスケープゴートを探しているだけ。
スケープゴートを探している奴らから、スケープゴートにされないための生き方をしても、結局は迫害と冤罪で殺されるし、そんな迎合した生き方をすると地獄へ落ちる。
だから、神の使徒ヨハネは世を愛してはならないと言った。世間に迎合してはいけない。
2、縁を人質にする非信者
非信者は群れないと不安だから、群れから排除するのが脅しや取引材料になると思い違いをしている。
害のあるモノを価値のあるモノだとすり替えて金を騙し取るのが詐欺だ。
群れるのは地獄へ落ちる生き方なのに、価値のあるモノだと思い込んでいるのが非信者である。
詐欺師は、価値がないモノを価値があるとすり替えて金を騙し取る。
もしくは、有害なモノを有益なモノとすり替えて金を騙し取ったり、人生を食い潰す。
ブラック企業も「ここで通用しなければ他でも通用しない」と言って、全く価値のない有害なブラック企業の勤務を人質に取って、交渉材料になると思い違いをしている。
神の信者なら、群れから排除するなんてやり方をしないで、最初から挨拶しないし、受け入れない。
非信者が群れから排除するやり方はギャンブルの詐欺にも似ている。ある程度、勝たせてから、のめり込んだら騙しに掛かる。
投資詐欺でも似たようなのがあって、一回、二回は儲けさせてから、のめり込んだら少しずつ騙して金を奪う。
後で金を奪い取る前提で数回は受け入れてから、相手が抜けられなくなってから金を奪う。
麻薬でも、数回は無料でやらせて、抜けられなくなってから金を奪う。
非信者は、こういう卑怯でせこいやり方をする。
まるで運命共同体みたいな事を最初に言って騙して、相手が逃げられなくなってから金を奪い取る。
詐欺師はルールを明文化しない。ルールを後から変える。
非信者はルールを明文化しない。ルールを後から変える。
詐欺師と非信者は同じことをするから、非信者は詐欺師である。
神の信者は、こんな卑怯な事はしないで、受け入れないなら最初から受け入れないし、相手が神の教えを携えたら全てを共有する。
神の信者は、縁を人質にしないから、縁切りをチラつかせて譲歩を要求するなどという悪行はしない。
非信者は、縁を人質にするから、麻薬ギャングと同じで、最初の内は無料で楽しませるけど、後から高い金を何十倍も上乗せして騙し取る。
非信者は、縁を人質にする。
神の信者は、縁を人質にしない。
3、生け贄
本人の努力不足と決め付ける自己責任論は生け贄社会である。
社会システムの欠点を考えないで、個人にシワ寄せをする生け贄社会。
生け贄社会は、破綻する限界まで個人を犠牲にする。
所詮、全ての国はサタンの支配下だから、全ての社会もサタンの支配下なのである。
4、奴隷
下級も上級のサタン側の奴隷である。
奴隷同士で争わせて、サタン側に矛先が向かわないようにする。
奴隷から脱出して、自由な人間に成るには、神を信じて神の掟を守るのが唯一の手段だ。
神の真理を知る事で自由になる。
リスクを取るから成功するのではない。リスクを取る人間の中から、サタン側にとって都合の良い人間を出世させているだけ。
実際は、リスクすら取っていないかも知れない。
本人が自分でリスクを取ったと思っているだけで、客観的にみるとリスクを取っていない確率がある。
他の人は、そいつの何十倍も何百倍もリスクを取っているかもしれない。
サタン側に不都合な人間がリスクを何百倍も取っていて、サタン側に好都合な人間がリスクを少ししか取っていなかったら、サタン側は好都合な方を担ぎ上げて成功させる。
リスクを取っていない癖に、リスクを取ったと思い込んだ人間が、サタン側に担ぎ上げられて「自分はリスクを取ったから成功した」と言って、人々が成功のためにリスクを取るように仕向ける。
こういう担ぎ上げられた奴は、「自分はリスクを取った」とは言うけど、「必要な量のリスクを取った」とは言わないし、「平均の何十倍もリスクを取った」と言わない。
大してリスクを取っていないのに成功したから、内心では担がれているのではないかと疑いつつ、自分の成功・出世・社会的地位を失うのが惜しくて、サタン側に担がれているかもしれないと疑っても言わない。
努力の効果は、どれぐらいだろうか。
それは、サタン側が人々に不自然さがバレない程度に、努力した人間を担ぎ上げる程度の効果だ。
全く努力しない人間を担ぎ上げると、不自然さがバレる。
だから、ある程度の努力をしていて、サタン側に好都合な発言をする人間を担ぎ上げる。
好都合な人間の中で最も努力した人間を選ぶのではなくて、人々に不自然さがバレない程度に、ある程度の努力をしている人間を適当に選んでいるだけだ。
成功を自分の手で築き上げたと思い込む人間は、神に背いて、サタンに魂を売っているのである。
この世で富を築き上げたのは、自分の力ではなく、神が成功できるように計画してくれたのである。
聖書の内容に背く者は、サタンに魂を売っている。
自分の手でリスクを取って成功したと思う者は、サタンに魂を売っている。
聖書では、サタンに魂を売る人間を奴隷と表現する。
聖書の罪とは、神の掟に従わない事であって、人間たちが身勝手に作った法律を破る事ではない。
だから、神が与えてくれた富を築く力に対して、自分の力で富を築いたと思うのが罪になる。
5、公平
公平な条件が気に入らない人間は天国へ入れない。
聖書は、いつの時代でも、どんな国でも、全ての人が判るように書いているから、公平である。そのため、聖書の例えが気に入らないという理由で拒むなら、そういう人間は公平な条件を拒むから天国に入れない。
才能に恵まれた人間は、サタン社会でそれなりに上手くいくから、社会的地位の未練に囚われて、神に立ち帰るのが不利になるため、丁度いい配分で公平な競争になる。
恵まれなくて社会で苦しむ人は、サタン社会に囚われないから、サタン社会を捨てて、神に立ち帰りやすい。
仮に、才能で恵まれた上に神に立ち帰りやすい人が居て、才能で恵まれない上に神に立ち帰りにくい人が居たら、あまりにも条件が不公平すぎる。
貧者ラザロは、服を買う金がなく、食事を買う金がなく、家を借りる金もなく、治療費もなく、犬から守ってくれる友人も居ないほど、この世で恵まれなかったから、神を信じている描写がなくても無条件で天国へ入れた。
この世で恵まれない人ほど、天国へ入る条件が優しくなる。これが本当の意味での公平である。
公平な条件を拒む人間が天国へ入ると、天国へ入った他の清い魂の人間が苦しむから、神は公平を拒む人間を天国へ入国させない。
聖書で背教者を家畜と表現する場合があるのは、家畜は、いつの時代でも、どの国でも存在するから、誰でも理解できるからだ。
もし、家畜以外で表現したら、理解するのに格差が発生するから、公平な条件にならない。
だから、どの時代でも、どの国でも、神に立ち帰るのが同じ難易度に設定されているから、背教者を家畜で表現される。
こういう公平な条件が気に入らないなら、神に立ち帰るのは不可能であり、天国へ入れない。
いつの時代の人間が相手でも配慮する人格が、天国へ入るのに必要なのだろう。実際に天国へ入ると、別の時代の人と同居するからだ。
配慮はするけど、その時代の人間が間違っていた事は、キチンと間違っていると指摘する。罪を犯さない人は存在しないからだ。
いつの時代の神の信者でも、罪を犯さない者は存在しない。
間違いは間違いと指摘するから、別の時代の人への配慮よりも神の教えを優先する。
6、全て逆らう者はサタンの生け贄
サタンの目的は人々を地獄へ道連れにする事。
人々が天の主に従わなければ、地獄へ道連れにできる。
だから、サタン側は、サタンに従う人間を作るのは目的ではなく、数ある手段の内の1つでしかない。
全てに従わない人間になるように洗脳すれば、その反逆者は神にも従わないから、地獄へ道連れにできる。
サタンに従う人間に洗脳すれば、地獄へ道連れにできるけど、サタンに従わなくても神に従わないようにすれば地獄へ道連れに出来るから、必ずしもサタンに従うように洗脳するわけではない。
何にでも逆らう反骨心を植え付けられた人間は、いいようにサタン側に騙されている。
何にでも逆らっていい気になっている人間は、完全にサタン側の罠にハマっているから滑稽である。
サタン側の首輪をハメられて四つん這いになっているのに、自分は全てに逆らっていると思い込んでいるのだから、笑いモノだ。
何でもかんでも逆らわないで、子供のように素直な心で話を聞けば、本物の神が誰なのか気付いて、神に立ち帰れると聖書にある。
何でもかんでも歯向かうような性根の曲がった人間では、神に立ち帰れない。
子供のように素直な心なら神に立ち帰れる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?