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頭が良いと騙され 家族愛はラハブのように背教同胞を皆殺しに協力し家族は天国へ入る

1、頭の良い人間ほど騙される社会
頭が良ければ騙されないと思っている人が多いけど、それは嘘で、実際は頭が良いほど騙される。
頭が良ければ騙されないと思っている時点で騙されている。
頭が良ければ騙されないと思うように仕向けられている。
頭が良ければ騙されないと思うと油断して騙されやすくなるからだ。
頭が良いと思っている人間ほど騙される。
頭が良い人間ほど、大抵は金を持っているから、頭の良い人間を騙す手口を詐欺師は考える。

頭が悪いと言った方が自分としては判りやすいけど、ダメなら浅慮(考えが浅い)という言葉を使う。
浅慮なのに、浅慮を自覚していない人間が騙されやすくなる。
浅慮な人間ほど、金を持っていないから、騙しても金にならないから、浅慮な人間を騙す手口は考えない。
だから、浅慮な人間は表面的には騙されないように見える。

そもそも、騙されるかどうかは、知能の問題ではなく、性根の問題である。

2、詐欺の効率
頭の良い人間たちは、一人一人の思考回路が似てくる。
思考回路が似ているから、騙しの手口を一つ考えれば、かなりの人数を騙せるようになる。
浅慮な人間たちは、一人一人の思考回路が異なる。
思考回路が異なるから、一人一人を騙すには、その一人一人に当てはまる騙しの手口を考えないといけない。
しかも、金を持っていないから、効率が悪い。
そのため、詐欺師側は、浅慮な人間を騙す手口をあまり考えない。

3、詐欺と訴訟
頭の良い人間ほど、騙されても泣き寝入りする。
騙された自分はバカという評価を受けるため、屈辱だから、ばれないように泣き寝入りする。
そもそも、頭が良い人間ほど騙されないという風潮を詐欺師側が垂れ流しているのは、そういう泣き寝入りをさせるための仕込みである。
浅慮な人間は、自分が浅慮だと自覚しているから、自分が浅慮と思われても、大して気にしないから、バンバン訴訟する。
そもそも、頭の良し悪しと、詐欺被害の訴訟は、全く関係がないのに、なぜか関係があるかのように絡めるのが詐欺師の手口である。
なぜ、犯罪被害の訴訟と、知能の優劣が関係あるのか。
そもそも、犯罪被害の訴訟と、知能の優劣には、何の関係もない。

4、頭の悪さを自覚
俺も頭が悪くて、小学校の「面積」「角度」「理科」あたりから学力の怪しい。
量子とか、波動とかでも、色々と真実は有りそうだけど、理系関係だと、俺は途端に弱いから、少しぐらいしか調べてない。
論文は読んでみるけど、訳が判らない。
読まないでドヤ顔しているエセ科学主義者よりは、読んでる方がマシだけど。
自分が浅慮だと自覚しないと、簡単に騙される。
自分が浅慮だと自覚しないだけではなく、浅慮なのに頭が良いと思い込んでいると、もっと騙される。
浅慮で頭が良いと思い込んで、しかも論文すら読まないで疑わないのだから、騙されるのが確定する。
浅慮を自覚すれば、騙されなくなる。

5、ピラミッド構造
頭が良い人間を財力で取り込んで、浅慮な人間を抑圧する。
頭が良くても財力や暴力やハニートラップには弱いから、性根の問題である。
頭が良いから性根が良い根拠にはならない。
そうやって支配した高学歴の人間を盾にして、浅慮な人間の言論を弾圧する。
このピラミッド構造に気付かない時点で、割と浅慮だ。
判っていて片棒を担いでいる人間は、性根が腐っている。
学力だけではなく、暴力・財力・権威とかでもピラミッド構造で洗脳する。
ただ、性根は神の領域だから、サタン側は手出しできない。
性根が良ければ、騙されないし、暴力とかも手が出せない。
世から出たモノを愛してはならないと聖書に書いている。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

ヨハネの手紙1 2章15節17節 新共同訳

6、ラハブ
ラハブの家族が敬虔な信者という描写が無かったから、ラハブがイスラエルに協力したから、ラハブの家族も無条件で天国へ入れるのだろう。
無信者な家族を助けたいなら、背教者の同胞を皆殺しにするほどの覚悟が必要という訳だ。
同胞の全員が背教者の社会の中で、家族の何十人の全員が敬虔な信者というのは、確率としては有り得ない数字だろう。
ラハブの家族が神に立ち帰った描写はないから、多分、無信者のままなのだろう。
ラハブの町の人々が家族も含めて、「恐怖に襲われて」「心は挫け」という描写はあるけど、これは立ち帰っていると言えるのか読み取れない。
ヨシュア記 2 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

家族のため、神のため、背教者の同胞を皆殺しに出来る人間の血筋なら、例え無信者でも血と魂が尊いため、ラハブの家族は無信者のまま天国へ入っても、他の清い魂に穢れが感染しないのだろう。
金持ちのラザロの話でも、貧乏人のラザロが信者という描写が無かったのに、天国でアブラハムと宴会を楽しんでいたから、貧乏なら無条件で天国へ入れるのだろう。
知能や感受性や精神的余裕が、天の主を崇拝できるほど足りない人も、無条件で天国へ入れる感じはする。
信者でなければ、絶対に天国へ入れないという訳でもないけど、かなり厳しい。
ラザロは、食べ物を買えない、家を借りる金がない、服を買う金がない、医療費を払う金がない、守ってくれる家族が居ない、というレベルの貧乏人だから、条件はかなり厳しい。

旧約は「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人とその家族」は天国へ入れるのだろう。
ロトの村でも、義人が五人でも居たら、村を亡ぼさないと神と約束できたから、旧約だと、義人のコネで無信者も救われるのだろう。
ただ、面白いのは、「敬虔なイスラエル人の家族」は天国へ入れないということだな。
イスラエル人なら、自分自身で自分を助けろという意味だろう。

念のため、現代のハザール人が偽装したイスラエルの偽ユダヤ人を助けても、何の意味もない。

7、この国の
この国の個人崇拝の悪魔崇拝をやっている背教者を皆殺しにするかどうかはともかく、する気が無いなら、魂が穢れているから天国へ入れない。
ラハブのようにチャンスを待つなら、チャンスが来なくても許されるだろう。
やる気があるなら、偶像崇拝などしない。
偶像崇拝をしているという事は、ラハブのような覚悟がない証拠だ。
軽い気持ちで偶像崇拝をするようでは、エセ家族愛は確定している。
世間に迎合しているようでは、エセ家族愛である。

8、エセ家族愛
本当の家族愛なら、背教者の同胞を皆殺しにできる。
本当の家族愛なら、世間体のためではない証明として、ラハブのように、背教者の同胞の世間を皆殺しにする必要がある。
本当の家族愛なら、神は認めて、天国へ入る恵みを与えてくれる。
サタン側が用意する偽の家族愛ではない。
エセ家族愛は、実質的な連座制度である。
エセ家族愛は、世間体のために家族愛を見せかけているだけだ。
エセ家族愛は、妙な液体で薬害になるのに、家族のためとすり替えて注射して、無駄死にさせたり、障碍者にする。
エセ家族愛は、世間体のために家族を生け贄に差し出している悪魔崇拝である。
エセ家族愛は、道連れが欲しいだけで、愛してない。
サタンは道連れが欲しいから、エセ家族愛をする人間は「サタンの子」である。
エセ家族愛は、魂が穢れている根拠は、聖書には家族を捨てろと書いてるからだ。

新約聖書:マタイによる福音書:19章:29節
おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
新約聖書:マルコによる福音書:10章:29節 
イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、、子、もしくは畑を捨てた者は、
 30節
必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。
新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

新約では、家族愛そのものが許されるのかどうか。
確実に判るのは、世間体のためのエセ家族愛は、許されない事だ。
新約では、父の葬儀へ行かせてくださいと言った時に、死んだ者の事は死んだ者に弔わせなさいとイエス・キリストが言うから、敬虔な信者ではない者は家族でも気にしてはならないのだろう。

新約聖書:マタイによる福音書:8章: 22節
イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。
新約聖書:ルカによる福音書:9章: 60節
彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。

家族愛とエセ家族愛は、区別する必要がある。
世間に仲が良い事を見せつけるようなのは、エセ家族愛である。

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