見出し画像

自己嫌悪は正しい 自分を棚に上げて悪人を叩くのは正しい 謝罪

1、自己嫌悪は正しい
自己嫌悪とは、自分を好きになれない事。

天の主の存在に気付いていない人は、自分が神に背いているけど、神に背いているのは無意識に感じて、そんな背教の悪行をしている自分を好きになれない自己嫌悪に陥るのは、正常な感情である。
自分の悪行に無意識で気付いていて、反省しようと感じているから、自己嫌悪に繋がる。

天の主という絶対善の正しい存在に背いている自分を嫌いになるのは、正常な感情である。

サタン側は、自己嫌悪に陥っている人々が、自己嫌悪の原因を探して、神を発見すると不都合だから、「神に背いている」以外の事柄で自己嫌悪に陥っていると洗脳する。
自己嫌悪の原因を背教以外に求めるのは、サタン側の罠である。
神にたどり着かないように、中途半端な納得へ誘導している。

なぜ、自己嫌悪が悪いと思っているのだろう。
キチンと説明できるのだろうか。
具体的に説明できないなら、洗脳されている状態である。

反省する気がない人間だと、自己嫌悪にならない。
神の信者でもないのに、自己嫌悪に陥らないで人生が上手くいっていると思っているなら、神の背いても罪悪感を抱かない人間性だから、犯罪をしても罪悪感を抱かないため軽々しく犯罪をする。

神の信者なら、神に背いていないから自己嫌悪に陥らない。

善い事を言うのに悪人相の人が存在する。
その人は、神に背いているのに気付いていないで、善い事を言うから、自分の悪行を棚に上げて他人の悪を叩いているため、悪人相になる。
善い事を言っていても、その善い事は人間社会の身勝手な善悪基準で善い事だから、神の掟の基準で善い事ではないため、悪人になる。

人間基準では善人でも、神基準では悪人だから、悪人相になる。

サタン側の手口には、価値がないモノを価値があるモノと騙す。
価値があるモノを価値がないモノと騙す。
神の教えという価値のあるモノを価値がないモノと騙す。
地獄へ落ちる悪行の価値がない有害なモノを価値がある有益なモノと騙す。
本当は悪行なのに善行だと騙されているから、悪人相になるし、自己嫌悪に陥る。

2、自分を棚に上げて悪人を叩くのは正しい
自分の事を棚に上げて叩く。
自分の事を棚に上げて叩かない。
自分が非信者で悪魔崇拝をしているのに、他人を叩かない人間は、人間基準の善行すらしないから最悪である。
「自分の悪行は棚上げで悪人を叩く奴」は少なくとも、何が真実の善なのか探して、もがいている分だけマシだ。
悪人を叩いても自分の悪行は赦されない。しかし悪人を叩く行動するだけマシである。
「自分の悪行は棚上げで悪人を叩かない奴」は、サタン社会で出世して余裕綽々だから傲慢になっている。
金持ちは天国へ入れないと言った神であるイエス・キリストの言葉を少しは考えた方がいい。

率直に戒めなさいと神は言っている。

レビ記 19:17
心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。
歴代誌下 19:10
あなたたちの兄弟が自分の住んでいる町からあなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない。
ルカによる福音書 17:3
あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。

だから、自分を棚に上げていても、悪人の悪行を叩くのは正しい。
自分を棚に上げて叩かない奴よりはマシという程度の正しさである。
ただし、悪人の悪行を叩いても自分の悪行は赦されない。
神が率直に戒めなさいと言っているから、他人を叩くと言う部分だけが正しいだけであって、自分の悪行を棚に上げる部分は間違っているから地獄へ落ちる。
2つのルールがあるのに、1つしか守らなかったら、やはり罪だ。
殺人と強盗の2つをしてはいけないのに、殺人はしないけど強盗はするのでは、やはり罪になる。
しかし、2つともルールを破っている奴らに比べたらマシである。殺人強盗よりも、殺人だけの方がマシだし、強盗だけの方がマシである。

一番に良いのは、自分の悪行を反省して二度と悪行をしないで、他人の悪行を叩く事である。
神社仏閣への参拝・クリスマスなどの悪魔崇拝の悪行を反省して二度としないで、他人の悪魔崇拝を叩くのが、一番に良い行為である。

3、謝罪
警察が被害者の自己中な行動に呆れてストーカーとして立件したから、加害者が激昂して殺人事件になったと書いた。
しかし、警察は、そんな性根ではなく真面目に立件した結果として殺人事件になった。
俺が間違っていたから謝罪する。申し訳ありませんでした。
一律で立件する事がマニュアルとして存在するのかもしれないから、マニュアルを作った者の責任である。
上手くいった場合はマニュアルを作った者の手柄になるけど、失敗したら創った者の責任になる。
どの程度の得点と減点になっているのか判らないから、何とも言いようがない。
最終的には、マニュアルを採用した者の責任になる。
採用した者を選んだ者の任命責任になるから、本当の最後はサタン側になり、サタンになり、サタンが悪心を読んだ人々の責任となる。
この世の命令系統は、神、人、サタン、サタン側、表の権力者になる。神は間違えないから、人の悪心が悪い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?