見出し画像

謝罪 赦す人は怖い 人生4種 脳チップと人間の定義 人生と人類は存在しない 人5変化

1、謝罪
低俗で思考力のない人が繰り返しの洗脳に騙されて思考停止になる」と言ったけど、低俗ではなく、悪魔崇拝をする人だと言った方がいいと思ったから、訂正する。
申し訳ありませんでした。

悪魔崇拝を知らずに行っている人は、自分で考えないから、悪魔崇拝かどうかも調べないため、悪魔崇拝をしてしまう。
悪魔崇拝をするから、そこに安住して、思考停止に陥る。

2、赦す人は怖い
サタン側にとって、赦す人が最も怖い。
被害者が加害者を赦すと、天の主が代わりに復讐するから、地獄へ落とされて、永遠に焼かれるか、魂を消されるからだ。
だから、サタン側は、赦さない人を加害のターゲットにする。
多分、赦す人を殺したら、神は加害者の魂を消滅させる。
そこまで神の怒りを買わない犯罪者に対しては、焼くだけだろう。
魂が消滅したくないサタン側は、赦す人を殺さない。

赦す人には、何らかの特徴がある。
その特徴が何か判らないけど、被害に遭う前から、そういう特徴がある。
自分に対する加害を赦すかどうかは、被害に遭ってから許したかどうかでしか判らないだろう、と思うのは間違いである。
その特徴は、サタン側に知られているから、サタン側はそういう特徴のある人を加害のターゲットにしない。
赦さない考え方をしていると、犯罪者による加害のターゲットになる。

3、人生4種類
人間には、生き方が4種類ある。
1、他人の言うとおりに生きる。
2、他人とは違う生き方をする。
3、自分が居心地のいい生き方。
4、神の掟に従って生きる。
123は間違った生き方で、4だけが正しい生き方である。

欧米が自分の頭で考えているというけど、実際は他人に逆らっているか、自分に居心地のいい自己中か、どちらかでしかない。

人間には神に従う本能がある。
神に従えば、本能が満たされて幸せになる。
しかし、サタン国家に神を隠されると本能を満たせなくて飢える。

自由があるから思考できる。
自由は真実を知っているから可能である。

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

ヨハネ福音書 8章32節 新共同訳

神だけが真実だから、真実の神を信仰する信者だけが思考できる。
欲望に支配されているのは自由ではない。

未信者同士で比べると、相対的に思考ができている様に見える人が存在するから、そういう人を思考ができると思い違いする。
実際は、似た者同士である。

4、人間の定義
脳にチップを埋め込んだり、記憶をコピーしたら、それは人間だろうか。

自己中な人間は、自分の都合で他人の人間性を定義するから、人間の定義が判らないのだろう。
好都合なら善人扱いして、不都合なら悪人扱いするため、人間の定義がフラフラしている。

そもそも、人間という存在そのものが存在しない。
この世は「信者」か「未信者」の二つしか存在しない。
聖書で人や人間という単語が出てくるのは、便宜的に使っているだけだ。
俺も便宜的に人や人間の単語を使っているだけで、実際は信者か未信者の二分類でしか判断していない、と思う。
前々から少し自分でもキチンと人間の単語の意味が判っているか不明瞭だったけど、完璧ではないけど最近はハッキリしてきた。

旧約聖書で、アブラハムの子孫と、それ以外という分類をしていたから、信者と未信者の分類ができなかった。
しかし、新約聖書になると「信者」と「未信者」の分類が必要になる。
旧約でアブラハムの子孫の「敬虔なイスラエル人」と、新約で「信者」は、同じ意味になるけど、どちらの呼び方をしても整合性が取れない。
そのため、旧約と新約で整合性を取るために、あえて聖書では旧約と新約にの全般に渡って人・人間の単語を使う。

聖書で人間の定義がないから、サタン側が人間の定義を無理やり作って、人々を騙そうとしているのだろう。
ただ、人間の定義そのものがないから、定義がとんでもなく難しくて、実行不能になっているみたいだけど。
未信者たちが自分勝手な人間の定義でモノを言っているから、むちゃくちゃになっている。

サタン側は人類という概念を作って、人々を洗脳している。
そのため、人々は人類・人・人間の単語に振り回されて、正常に物事を考えられなくなる。
人類・人・人間が存在すると妄信すると、あらゆる事柄で失敗する。
人生が上手く行かないのは、人生が存在しないのに、人生が存在すると騙されているからだ。
一見すると成功しているように見える人でも、内心で幸せな人生ではないと思っている。
自分の人生が上手く行っていると思っている人間は、居ない。
人生が存在しないのに、人生が上手く行くわけがない。

脳チップにしても、本人が人間かどうかというよりも、他人や世間にとって好都合な存在かどうかで人間扱いしているから、おかしな事になる。

5、人間の定義と5種類の人間変化
人間は5種類、存在する。
A、創世記からエヴァとアダムが果実を食べた間。
B,果実を食べてからエヴァとアダムが言い訳する間。
C,言い訳から、アブラムの召命までの間。
D、召命から、イエス・キリストの復活までの間。
E,イエス・キリストの復活から後。
人間は、この5種類が存在した。

Aは、神に似せて創った存在。
Bは、罪を犯した存在。
Cは、エノクのように敬虔なら生前携挙のチャンスがある存在。
Dは、「敬虔なイスラエル人」になり得る存在。
イスラエル人と言っても、偽ユダヤのハザール人の現イスラエルではない。
Eは、「信者」になり得る存在。

DとEが重要だから説明する。

Dでは、「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」の存在だけが天国へ入れる。
「敬虔なイスラエル人」を祝福する異邦人を神が祝福すると聖書に書いてあるから、「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」も天国へ入れる。

あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」

創世記 12章3節 新共同訳

「あなたを祝福する人を私は祝福し」とは、あなた(アブラム系)を祝福(助ける)する人(異邦人)を私(神)は祝福(天国へ入らせる)し、というようになる。
アブラム系を助ける異邦人を神は天国へ入らせる、と訳せる。

「地上の氏族」と書いてあるから、民族は存在しないのだろう。
氏族だから、男系とか女系とか、そういうものだ。
民族と訳している聖書もある事はあるけど、誤訳ではないのか。

「地上の氏族は全て、あなたによって祝福に入る」というのは、選民以外の人々は、アブラム系を助ける事で天国へ入れる、となる。

D期間の聖書には、人という単語は使われているけど、人は存在しない。
「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を、助ける異邦人」が天国へ入れる。
「神に対して敬虔な選民」と「神に対して敬虔な選民を、助ける選民以外の者」が天国へ入れるから、人は存在しない。
「神に対して敬虔な存在」と「神に対して敬虔な存在を、助ける存在」が天国へ入れる。

天国へ入れない存在は、どんな人間だろうか。
それは
「不敬虔なイスラエル人」
「敬虔なイスラエル人を助けない異邦人」
「不敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」
「冒涜者」
「未信者」
「犯罪者」神の掟を破る者。
その他、色々。

E期間になると、二種類の存在に分類される。
「信者」
「非信者」未信者・不信者などもあるけど、意味は同じ。
に分類される。
イエス・キリストに敬虔な「存在」が「信者」である。
この「存在」を便宜的に人と呼ぶ。
また、「非信者」の「存在」も便宜的に人と呼ぶ。

ABCDEの期間で、人間の存在はない。
神に似せて創られた存在とか、敬虔なイスラエル人とか、信者とか、そういう表現が正確なところである。

聖書の中で、人・人々などの単語が出てくるけど、人は存在しない。
便宜的に人の単語を使っているだけ。
二足歩行で生きる生き物を便宜的に人と呼んでいるだけ。
人間がAからEの間で、何度も定義が変わっているから、人間の定義ができない。
これが人間の言語能力の限界である。
人間の言語能力では、このAからEの間で変わった人間の状態を、一言で説明できないのである。しかし、神を信じたら判るようになる。
さっき書いた、(旧約でアブラハムの子孫の「敬虔なイスラエル人」と、新約で「信者」は、同じ意味になるけど、どちらの「」内の呼び方をしても整合性が取れない。)が、これである。人間の言語能力の限界だ。
人間の言語能力に合わせて、神は「人」という単語を創ったのだろう。
人間の言語能力では、このAからEの間で変わった人間の状態を、単語一つでは理解する能力がないのである。しかし、神を信じたら判る。

人の単語を使わないで聖書を書こうとすると、人の単語が出てくるたびに、ABCDEの5種類の説明文をイチイチ書かないといけなくなる。
そんな説明文をイチイチ書いたら、読み辛いったらありゃしない。
人間の読解力では、そんなイチイチ注釈に耐えられない。
だから、神は、イチイチ書かないで、人、という単語一つに括った。

大事な概念を省略したら、聖書の本質を理解できなくなるのではないかと思うけど、神を信じたら自然と判るようになる。俺も神を信じたから、判るキッカケを掴めた。
人間の理解力では理解できない事柄でも、神を信じたら理解できる。

人間が存在しないから人間を定義できないし、人間を定義できないから人生も存在しない。
人生が存在しないから、人生が上手く行くわけがない。

俺も便宜的に人・人間・人々などの単語は使うけど、便宜的に使っているだけだから、定義できないし、定義しないようにする。

6、脳チップと薬害
聖書的な人間の定義を全く考えない人間が、脳チップを自主的にホイホイ手術して、人間としての扱いを受ける権利を放棄するのだろう。
妙な液体を自主的に摂取して、薬害に遭った失敗を繰り返す。
「人間とは何か」を考えない人間は、人間扱いされなくても、自分が人間扱いされていない事に気付かない。なぜなら、人間が何なのか判らないから、自分が人間扱いされていない事に気付けないのである。
その場その場の雰囲気や勢いに流されて、全く考えないから騙される。
俺の主観的な聖書解釈で人間は存在しないから、脳チップの埋め込みで人間ではなくなるかというと、そもそも人間そのものが存在しないから、存在しないモノが失われるというのは有り得ない、と結論付ける。
だから、人々が勝手に決め付ける「人間扱い」が変質する。
チップ人間を人々が人間扱いしたら、チップ人間は人間になるのだろう。
チップ人間を人々が人間扱いしないなら、チップ人間は人間ではない。
チップ人間が本当に人間だろうと人間でなかろうと、そんなのは全く何の決定権もなくて、人々がチップ人間を人間と思うか思わないかで人間扱いされるか人間扱いされないか決まる。
別にチップ人間に限らず、普通の人間に対しても、人々が人間扱いしたら人間として扱われるし、人々が人間扱いしなければ人間として扱われない。
世間が多数決で物事を決めるなら、こうなる。

世間が物事を決めると、おかしな事になる。妙な液体の薬害だって、世間が勝手に良し悪しを決めるから大薬害になった。
聖書的に神の視点から良し悪しを決めれば、疫病は神が背教者に下す天罰だと判るから、神を信じる信者なら絶対に接種しなかった。
信者なら、自分が病気になっても、試練だと思うし、神に背いた自分が悪いと反省するから、神は反省した人を見て病気を治してくれる。
例え死んだとしても、それが自分の悪行の結果だと受け入れるから、天国へ入れるかもしれない。
神が直ぐに天国へ欲しいから、疫病で殺したのかもしれない。

7、男女を逆にしてみる
話は変わるけど、前に、「エセ右翼の鉄砲玉になるような人間は、金持ちでもギャンブル狂いと同じカテゴリーで結婚できない」と書いたけど、追加で書く。

何で金を持っているだけで結婚できると思っているのか。
逆に考えて、女が男叩きばかりして、訴訟ばかりして、ヘタしたら賠償金を払わないといけないような生き方をしたら、結婚したいと思えるか。

子供のために金と時間と人生を使ってくれる男と結婚したいのが女だ。
エセ右翼の鉄砲玉になって人生と名誉を落とすような男とは結婚したくないのが女である。
子供が学校でいじめられてしまう。

8、後出しジャンケン
被害者の女が訴訟した事を後出しジャンケンと難癖を付ける人は、加害者が被害者と対等な勝負をしたのか。
どう見ても、権力の強弱の差がありすぎると思うけど、どこからどう見たら権力の強弱が同じと思えるのか、説明して欲しい。

自分の首を自分で絞める奴が存在する。
自分の功績を犯罪で台無しにする奴。
稼いだポイントを犯罪を楽しんで使い果たす奴。
せっかく手に入れた影響力を文化振興に使わないで、犯罪を楽しんで使い果たす俗人。

5億円も賠償請求するような人間を相手するには、数十億円ほど持っている人しかできないし、ワザワザ相手する義務もない。
周りから誰も居なくなる。
自分の言動で他人がどのように受け止めるのか、考える能力が欠落しているのだろう。

「週刊誌に書かれる方にも人生がある」というセリフは、他人の人生を台無しにしていない人間だけが言えるセリフだ。
他人を潰している犯罪者がモデルになって、他人を潰す風潮が激増して、犯罪者に返ってきたのである。

9、前科者の位置情報
GPSで犯罪者を居場所を知るとか言うけど、あんまり意味はないと思う。
犯罪は、経済失策が主要な原因だから、犯罪者を監視しても、別の人間が経済的に失敗して犯罪するから、意味がない。
監視社会にすると、うっ憤が溜まりに溜まって一気に爆発するから危険である。
ヘタすると、前科者の居場所が判ると、罪を擦り付けるために、別の犯罪者が近寄ってきて、近隣住民に加害する危険性もある。
俺が思い付くぐらいなのだから、犯罪者なら思い付くだろう。

犯罪者が前科を知られたくないとか言うけど、犯罪者の中には犯罪自慢する人間が居て、犯罪自慢が原因でバレていると判断されるから、引っ越し費用を出すのは税金の無駄になると考えられる。
犯罪自慢をする風潮を根絶しないと、どうにもならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?