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新世界秩序は囮 謝罪 謝罪できない候補者は謝罪できない有権者が原因

1、新世界秩序は囮
新世界秩序で異常に脅して、実際になってみて大した事がないと人々が油断して取り殺される。
知らない内に侵略されて支配される。
少しずつ常識や価値観を捻じ曲げられても気付かない。

中国の兵法でも似たような事があった。
兵法三十六計の1つ声東撃西(せいとうげきせい)といって、東を攻撃するぞと声で宣言しておきながら、実際は西を攻撃する。
陽動作戦ともいう。囮作戦ともいう。

ショックドクトリンかもしれない。
ショックドクトリンは、衝撃的な事件を悪用して大衆を支配する洗脳を実行する事。

サラーミタクティカかもしれない。
サラーミタクティカとは、サラミ戦術で徐々に侵食していく戦術の事。
サラミを薄くスライスして少しずつ食い潰すように滅ぼす戦術。

もしかしたら、サタン側は、人々を団結させるのが目的かも知れない。

あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

ルカによる福音書 12:51

神が分裂をもたらすと言っているから、サタン側は人々を団結させる。
団結したら、離れられなくなって、実質的な連座制みたいになる。
団結で連座制にしたら、構成員に1人を引きずり込めば、全員を地獄へ道連れに出来るから、サタン側にとって団結は好都合である。

神に依り頼まず、人間同士で勝手に団結して助け合う事そのものが神に背く悪行である。

詩編 84:12
万軍の主よ、あなたに依り頼む人は
いかに幸いなことでしょう。
箴言 16:20
何事にも目覚めている人は恵みを得る。主に依り頼むことが彼の幸い。
箴言 28:25
貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。
箴言 28:26
自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。

神のために信者同士で助け合うべきである。非信者同士で助け合うのは、勝手な行為だから天罰が下る。
「自分の心に寄り頼む物は愚か者だ」とあるように、自分勝手な価値観を持つ者同士で助け合うのは危険である。

陽動作戦の囮は、囮だからといって全く戦力がないわけではない。
本当に戦力がなかったら囮の効果がない。
島津の「釣り野伏せ」というのがあって、少数の囮を突出させて、その囮に相手が攻撃して来たら、囮は退いて、敵軍が突出して陣形が伸びきったら、周りから包囲して袋叩きにして皆殺しにする戦術だ。

神の信者は狼狽えない。
新世界秩序が囮だろうと本命だろうと動じない。
囮だとしてもドッシリ構えて釣られない。
本命だろうと従わないで神に殉教する方を選ぶ。
神の信者は軽挙妄動しない。
非信者は囮でも本命でも軽挙妄動して破滅する。

自分の命は神に殉教するために使うモノ。
自分の命を何が何でも失わないようにするモノではない。
自分の命を何が何でも失わないように固執する山奥生活の自給自足などをさせるのは、サタン側にとって好都合である。
自給自足生活は、したいならしたらいい。何の足しにもならないけど。

そもそも、新世界秩序を異常に警告して人々に知らせるのが不都合なら、そんな警告を発する人間をサタン側は暗殺している。
一国の大統領でも暗殺できるような連中である。
なぜ、高が一個人を暗殺しないのか不思議に思わないのか。
暗殺しないのは、不都合ではなく、むしろ好都合だからだ。
人々が自分の命に固執するようになれば、サタン側にとって好都合だ。

あと、サタン側は神の信者を暗殺できない。
もし神の信者を殺すと神が怒って、この世を滅ぼして、サタン側が地獄へ落として焼き続けるか魂を滅ぼすからだ。
だから、サタン側は恐れて、神の信者は殺さないため、神の信者が主張する事柄はアカウントBANできない。ヘタにネット発信できなくすると、社会で発信するようになって、非信者が逆上して神の信者を殺しかねない。

人々が自分の命に固執する事にコストを使えば、サンクコストになって、惜しくなって捨てられなくなるのが、サタン側の罠である。
例えば学校の勉強に時間と気力を使うと、高学歴を捨てるのが惜しくなって、神に立ち帰れなくなるのが、サタン側の狙いである。

埋没費用(まいぼつひよう、: sunk cost)とは、事業や行為に投下した資金・労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止をしても戻って来ない資金や労力のこと[1]。英語表記をそのまま音写してサンクコストともいう。

埋没費用 - Wikipedia

サンクコストで人々を縛り付けるのがサタン側の手口だ。

神の信者なら自分の命は神に殉教するために使うモノだと判るから、命に固執する価値観は全てインチキだと判るから騙されない。
命に固執する価値観は、サタン側が用意した何千何万の罠の1つである。

ユートピアはディストピアである。
神の信者になるのが唯一の幸せだから、非信者の人間が考えるユートピアはディストピアである。
ユートピアかディストピアで極端な二択の選択を迫るのがサタン側の手口である。
自由に選択する権利を与えているように見せかけて、実際は両方ともサタン側にとって好都合な選択肢である。
新世界秩序がディストピアだから、今の状態はユートピアという考え方は危険である。
今の状態、昔の状態の社会に適応すると死後は地獄へ落ちる危険性が非常に高い。

2、謝罪
昨日、愚か者について、愚か者と言う単語を使って説明した。
愚か者という単語を使わないで愚か者について説明すると難しいから、仕方なく愚か者という単語を使った。

しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

マタイによる福音書 5:22

愚か者と言うのはいけないと書かれているから、申し訳ありませんでした。
自分の文章力不足が原因だから、努力していく。
これからは、愚か者という単語を使わなくてもいいように努力していく。
旧約を読んでいると、いつの間にか聞き入って、愚か者という単語を使ってしまうから、これからは気を付ける。

旧約は愚か者という単語がよく出てくるけど、新約になるとマタイ5章22節以外では出てこない。信者パウロが言うだけである。

もしかしたら、旧約は選民と異邦人の区別が明確だったから、愚か者という言い方をしていて、新約になると垣根がなくなったから、愚か者と言ってはならないと、ルールが変更したのだろうか。

3、謝罪できない候補者は謝罪できない有権者が原因
選挙の候補者が謝罪できないのは、日本人が謝罪できないからだ。
自分が悪い時は謝罪しないけど、自分が悪くない時は謝罪する。
なぜなら、心の中で自分は悪くないと思っているから、軽々しく謝罪できるのである。
いざとなれば開き直ればいいと思っているから、自分が悪くない時だけ謝罪する。
そして、自分が悪い時は謝罪しない言い訳にする。他の場面で謝罪したのだから、今回は謝罪しなくていいという自分勝手な屁理屈を捏ねる。

昔、日本人が、貧困国で傍若無人な振る舞いをしたのを自主的に謝罪した人の話を聞いた事がない。
援助しても、罪が赦される理由にならない。
罪が赦される方法は、被害者に謝罪して、二度と罪を犯さない生き方をする場合だけである。

そもそも、言われた時だけ謝罪するのは、謝罪ではなくて、タダの処世術である。

他人に謝罪させても、自分が謝罪した事にはならない。
他人の罪を糾弾しても、自分の罪は赦されない。
変な人は、他人を謝罪させれば、自分の罪も謝罪した事になって赦されると思い違いをしている。


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