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真偽眼 騙される人 エセ成功体験 本物を見る経験 相対評価の罠 儲かる人が犯人 水俣

1、真偽眼
真偽眼とは、本物と偽物の区別を付ける能力の事。

真偽眼がないと芸術・書道・ブランド物で本物と偽物の区別が付かない。

ただ、本物と言われているモノでも本物かどうか怪しいモノもある。
サタン側がすり替えた危険性もあるし、最初からでっち上げの危険性もある。

たいていの人は、本物のイエス・キリストの教えと、偽物の偽装キリスト教団のでっち上げの区別が付かない。
たいていの人は、目に見える芸術作品でも区別が付かないのだから、目に見えない「神の教え」の区別が付かない。

芸術の区別は、「A作者の本物」と「A作者の偽物」を区別する必要がある。
ただ、世の中の人々は「A作者の本物」と「B作者の本物」の区別が付かない場合がある。A作者もB作者も、どちらも著名な芸術家だとしても区別できない場合がある。
また「A作者の本物」と「B作者の偽物」の区別が付かなかったりする。

真偽眼を習得するには、まずは自分が真偽眼を持っていない事実を受け入れる必要がある。
ほとんどの人は真偽眼がない上に、自分に真偽眼がないのを自覚していないし、真偽眼を持っていると思い上がっているため、騙される。
騙されないようにするには、自分が騙されやすい事を自覚する必要がある。

2、騙される人
騙されないと思っているほど騙される。
不安に漬け込まれるタイプでない人でも、相手が弱くて憐憫の情が沸くと漬け込まれて騙される。
詐欺の手口なんて、それこそ何千何万とあるから、一つの騙し文句に騙されないからと言って、他の騙し文句に騙されない保証はない。
それどころか、特定の騙し方に騙されない人は、他の騙し方で騙されやすい。

詐欺には、判りやすい詐欺と、判りにくい詐欺がある。
例えば、市販されている粗悪品や、健康を害する食品とかは、詐欺だけど、詐欺だと判り辛い。
それで病気になっても、因果関係の証明が難しい。
そして、因果関係が証明できても、そんなものを食べたのが悪い自己責任だと切って捨てられてしまう。
実質的に金を騙し取られているけど、詐欺として立件できない。
よほどの食中毒とか発火でもしない限り、返金すらされない。

唯一、サタン側の詐欺に騙されない方法は、神に立ち帰る事である。

3、エセ成功体験
サタン側が「目に見える詐欺を見破る成功体験」を人々に意図的に経験させる。
目に見える詐欺を見破る成功体験をすると、自分は詐欺を見破れると思い上がる。そして、目に見えない詐欺も見破れていると思い違いをして、「神の教え」と「偽装キリスト教団の捏造」を区別できなくなる。
サタン側の目的は人々を地獄へ道連れにする事だから、目に見える詐欺で人々を騙せなくても、どうでもいいのである。
サタン側は、見えるモノで騙すのは本命ではなく、見えないモノで騙すのが本命なのである。

中途半端な才能・知識・成功体験は危険である。

俺は成功体験がなかったから、成功体験で傲慢にはならなかった。
自分の性根が腐っているのは自覚しているから、成功していたら必ず増長していたのが判る。
神が俺を「虚弱体質」で「低知能」で「毒親」で「就職難の時代」に創ってくれたおかげで、傲慢にならなくて済んだ。
神に守られている。神のおかげで助かった。神に愛されている。

4、本物を見る経験
前にも書いたと思うけど、本物と偽物を見分けるには、本物を見る必要がある。

世の中には、本物と、偽物と、偽物の偽物が存在する。
偽物と、偽物の偽物しか見ていないと、偽物を本物と間違えてしまう。

本物   偽物     偽物の偽物
神の教え カトリック  カトリックの教義をつまみ食いしたカルト

本物と偽物と偽物の偽物とは、こういうもの。
カトリック以外にもプロテスタント・ギリシャ正教・その他の自称キリスト教団なども偽物である。

本物を知らない人は次のように世の中が見える。

本物   偽物       偽物の偽物
知らない カトリックが本物 カトリックをつまみ食いしたカルトは偽物

こんな風に本物を知らない人は世の中が見えている。

「カトリック」と「カトリックの教義をつまみ食いしたカルト」しか見ていないと、「カトリック」が本物のイエス・キリストの宗教と誤解してしまう。
本物のイエス・キリストの教えを知りたい場合は、イエス・キリストを信じながら自分で聖書を読んで、自分で解釈する必要がある。
「カトリックなどの偽装キリスト教団の神学」を読んでも、それは偽物だから本物ではない。

「他人の聖書解釈の文章」を読んでも、本物にはたどり着けない。それは他人にとっての本物であって、自分にとっての本物にならない。
茶器で例えるなら、触った人の話を聞いても、自分が触った事にはならないのと同じである。
触った人の話を聞いても、それは触った人にとっての本物であって、自分にとっての本物にはならない。
手の感覚は人によって違う。才能も人によって違う。
才能が違えば、やるべき貢献も違う。
10の才能を神から与えられた人は10の貢献をすべき。
50の才能を神から与えられた人は50の貢献をすべき。
金持ちがやるべき貢献と、貧困者がやるべき貢献は違う。
金持ちが貧困者と同じ貢献をしても天国へ入れない。
才能のある者が、才能のない者と同じ貢献をしても天国へ入れない。

本物を見つけたいなら、本物を知るしか方法がない。
本当の神の教えを知りたいなら、聖書を自分で読めば本物を知る事ができる。

5、相対評価の罠
相対評価だと、自分より下を見て安心してしまい、成長しなくなる危険性がある。
神の信者なら、神の採点という絶対評価だから、自分より下を見て安心しないで、常に神の目を気にする。

6、儲かる人が犯人
犯罪捜査では、儲かる人が犯人だと見なして捜査する。

ゴールドラッシュで儲かったのは、金を掘る人ではなく、金を掘る道具を売った人だ。
水商売で儲かるのは、水商売を直接する人ではなく、水商売をやらせる人だ。水商売の道具を売ったり、売り上げを抜いたりする。

水商売の金銭トラブルでの殺人事件について、加害者か被害者の「どちらかが悪い」か「両方が悪い」という世論操作がされている。
実際は、被害者に水商売をやらせて道具を売りつけて金儲けをする奴らが最も悪い。
世間は、最も悪い奴らに騙されて、加害者か被害者のどちらかが悪いという詐欺に引っかかっている。
自分は騙されないと思っていても、こういう風に騙される。

当事者よりも近くで唆す人間が最も儲かり最も悪いモノだ。
こういう唆しをする奴らは、アウトローや犯罪者が多いから、臆病者は怖くて批判できないのだろう。
臆病者は、反撃してこない加害者か被害者しか叩かない。
俺から見たら、加害者も被害者も搾取されている様にしか見えない。
本当の悪人は、自分たちに矛先が向かわないように、加害者がストーカだとか、被害者が結婚詐欺師だとか言って、世論操作をする。

7、水俣
水俣は、もしかしてサタン側が別の毒物をばら撒いたのではないか。
行政の権力者は、その事実を知っているから、被害者を見下す言動をしてしまうのだろう。
行政が不自然なぐらいふざけた態度だから、そうなのではないかと思った。

口先だけで中傷を批判しても信用には値しない。
中傷した人に対して、実際に訴訟して罰しないと、グルではないと証明できない。
「中傷は赦されない」と声明を出しても、風向きが悪くなったから中傷するなと犬笛を吹いているだけだと判断できる。

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