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元銀行員はレギオンに取り付かれ レギオン解説 謝罪 支持率 劇場型

1、元銀行員はレギオンに取り付かれ
二日前と昨日の続き。

多分、父親は、息子と人格を区別できないから、息子が批判されると自分が批判されていると感じてしまって、脊髄反射で他人のせいにしているのだろう。
同じように親子で人格を区別できていない有権者が投票したのだろう。
聖書にはレギオンというのが出てくる。
レギオンとは、多数の悪霊の事。
そのレギオンが、ある男に取り付いていた。
しかし、イエス・キリストがレギオンを叱りつけて男から出ていくように命令した。豚の集団の中へ入る事をレギオンが懇願すると、イエス・キリストは許可して、レギオンは豚の集団と共に湖へ投身自殺した。
レギオンは、自分のせいだと思っていない。他人のせいで巻き込まれたと思っている。
元銀行員も根本的に自分のせいだと思っていないから、ああいう他害・他責な物言いしかできない。自分の責任が認識できない。
多分、元銀行員は、根本的に父親が悪いと思っているのだろう。支持した連中が悪いと思っているのだろう。
擁護者や支持者は、元銀行員に集団で取り付くから、レギオンみたいに「とある男」に集団で取り付いている。
父親が取り付いて、その後で支持者が取り付いて、その後で擁護者が取り付いている。

無責任な候補者に、無責任が有権者が投票してしまう。
多分、無責任な生き方が許される社会を望んでいるのではないか。
世の中には、思った以上に無責任な人間が存在する。
しかし、無責任な奴が政治家になると、無責任な大衆はもっと生き辛くなる。無責任な政治家の悪政によって余裕がなくなって、無責任な大衆に対して、穴埋めを要求されて、締め付けがきつくなるからだ。
無責任な大衆は、無責任だから、こういう結果になるのが理解できない。
責任の連鎖とか、責任のキツツキとか、責任の玉突き事故とは、こういうものであり、振り子の運動エネルギーみたいなものだ。誰かが無責任な生き方をすると、その分のしわ寄せを他人が受ける事になる。

擁護者や支持者の集団は、元銀行員へのマスコミの対応を批判しているけど、マスコミは元銀行員の保護者(母親)ではないのを認識すべき。
擁護者は他人のせいにする無責任だから、マスコミのせいにする。
どう考えても本人の元銀行員の自業自得である。
甘やかしてくれないから文句を言うあたりが幼稚である。
元銀行員も、こんな甘ったれに取り付かれて迷惑だろう。
まあ、変な客を上手くあしらって金を搾り取る商売も存在する。
そもそも、本人のせいでマスコミが攻撃したのかというと、支持者や擁護者がウザイから、本人を叩き潰す方向へ動いているだけである。
支持者は無責任だから、自分たちが原因だと思いたくないため、マスコミのせいにしたり、目が覚めたと言って本人のせいにする。だから、こんなのに取り付かれて本人も迷惑だろう。
支持者たちが隠れたところから攻撃してくるせいで、支持者は隠れているから責任を取らせる事ができないため、ウザイから、仕方なく本人を潰しに掛かっている。
支持する時は、支持者が自主的に顔と名前と住所を出す必要がある。
隠れて攻撃するのは、とんでもなく本人の邪魔になっている。
本人も本人で、そういう隠れて攻撃をする奴らを訴訟しないと、いつまでもまとわりつかれる。そういう連中の盾に利用されている事に気付いた方がいい。
もしかしたら、共依存に陥っているのだろうか。

レギオンに取り付かれた男が苦しんだように、変な支持者に取り付かれた元銀行員も苦しむ。

変な偽ファンにまとわりつかれて衰退している特定スポーツと同じだ。
そのスポーツは世界レベルで八百長が横行しても、全く自浄作用が機能しない。
変な支持者たちも、反省しないから、自浄作用がない。

たいていの動画発信者は、その変な偽ファンを相手に金儲けをするから、なかなか、その変な偽ファンの集団を咎める事ができない。
そのため、本人を叩くというやり方になる。
金目当ての人間は真実を話す事ができない。
正常な人間関係は、まずは相手の健康状態と精神状態を正常だと把握してから構築される。
相手の精神状態が異常なのに、全く直そうとしないで利用しようと企むのは、異常な関係である。
だから、この元銀行員の精神状態を全く考慮に入れない発信者は、詐欺師である。
相手がおかしい状態に乗じて漬け込むのを詐欺師という。
相手の精神状態を気にしない時点で、相手の事を何も考えていない。

その擁護者の動画投稿者は、十数年は社会経験があるはずなのに、甘ったれた考え方をしている。
社会経験がほとんどない俺でも判る事なのに判らない。
金儲けが目当てだから、意図的にレベルを落としているのだと好意的に解釈するなら、辻褄は合う。
もしくは、社会経験は精神性とあまり関係が無いか。

2、レギオン解説
レギオンの話は次の章で出てくる。

マタイ8章28節から
イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。
すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。

マルコ5章1節から
一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。
イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。

ルカ8章26節から
一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。
イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

マタイ福音書の場合は、男が二人で憑依されている。
聖書では治療する時に親が出てくる描写がある程度はある。
この場面では父親が出てこないから、多分、この男二人は、父と息子なのではないだろうか。
元銀行員と、その父親は、どちらが主導権を握っているのか判らない状態だから、ややこしい。
息子は父親の面接を受ける権利を踏みにじる。しかし、父親は息子をラジコンで遠隔操作する。
どちらも主導権を握っていない状態だと、常に相手のせいだと思い込んで無責任になる。
この元銀行員は、父親にラジコンで操られていると思い込んでいるため、自分には何の責任もないと決め付ける。自分の問題行動は全て父親が悪いという責任転嫁をするから、無責任な言動を繰り返す。
もしかしたら、元銀行員と父親は共依存なのか。

レギオンは、男から豚へ乗り移ったように、宿主を変える。
変な支持者も、アチコチ乗り換える。

レギオンの悪霊に憑依された男は、石で自分の体を打ち叩く。

聖書で人助けをする時は、両親が出てきたりするけど、この男の場合は、身内ぐらいしか表現されない。

憑依している悪霊は、叩くなと喚く。
憑依している支持者は、叩くなと喚く。

群れるから弱くなるという話はある。

3、謝罪
世間に迷惑を掛けるかもしれない息子を殺害して対処した人はやり過ぎだから、例えとしては不適切だから謝罪する。申し訳ありませんでした。
しかし、息子が既に実害を出しているのだから、何らかの対処はすべきである。

4、支持率
総理は苦しい表情で精神が苦しいかもしれないけど、国民は生活が苦しい。

支持率が減っているのは、裏金問題なのか、カルト問題なのか。
区別しづらくするために、ワザと裏金問題を強調しているのではないか。

支持率もサタン側の捏造だから、支持率の低下はサタン側が「お前を首にするぞ」という脅迫である。

5、劇場型
劇場型にはウンザリする。
こんな事でイチイチ世の中が動くとか。
サタン側が得票数を捻じ曲げるから、後は不自然にならないように世論工作をするだけだから、イチイチ気にしても意味はない。

小学生ぐらいの時から、民主主義に対してウンザリして、おぞましく感じていたのは、サタン側が当選者を選ぶからだ。
子供の直感は正しい。

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