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貧し過ぎると金に執着しなくなる 不買運動すると徴兵されても文句が言えない

1、貧乏
俺は、毒親との間に金銭トラブルがあるから、余裕がなくなって、金に執着するのがほとんどなくなった。
貧乏になると、金に執着しそうな気がするけど、あまりにも貧乏過ぎると逆に金に執着しなくなるのだろうか。
どういう因果関係なのか判らない。
何か、理由があるのだろうか。

心理学の研究は、平均的な人間や環境で実験をするから、あまりにも極端すぎる環境だと参考にならないのだろうか。

神が金に執着しないように、毒親の元に生まれるようにしてくれたから、神に立ち帰るキッカケを掴めたので、神に感謝している。

テレビとかで貧乏キャラが金に執着するから、寧波人に対する世間のイメージは、変なイメージが付くのだろう。
環境による人格形成への影響は、個人差が大きいと思うから、貧乏だから、こういう価値観、というのは当て嵌まらないと思う。

2、経済
まともな経済は、まともな金の使い方を人々が行う必要がある。
異常な金の使い道しかしなかったら、経済体制がいびつになって、社会が破綻する。
むしろ、サタン側は、人々を苦しめるために、異常な金の使い方をする人間にワザと金を与えているのか。
意図的にアメリカ経済を崩壊させて、世界経済も崩壊させようとしているのがサタン側だ。

経済格差は、まともな経済に繋がるか。
昔は、金持ちの貴族がブランドを確立するために、やりたくもない文化的な生活をしていたから、経済が発展できた。
貴族には、自分の好きな生活財を買う自由はない。

3、不買運動
経済の話のついでに、不買運動について。
前にも書いたけど、特定の国家に対して不買運動をするのは、その国家に対して戦争を吹っ掛けるのと同じだから、徴兵されても文句が言えない。
不買運動から戦争状態へ突入する場合があるから、その時には、不買運動を主張していた人は、徴兵されて戦争へ行く義務がある。
自分で戦争状態を誘発したのだから、戦争へ行って責任を取る必要がある。

俺が冷静なのは、「貧し過ぎた経験が原因で、商品は自分に必要かどうかで買うかどうかを決めているから」なのか、「神に立ち帰ったから冷静」なのか。
どちらにしても、貧しい経験は神の恩恵なのだから、神のおかげである。
貧しいと不買運動をするという価値観がなくなるのだろう。

不買運動を煽る人は、生活に余裕があるのだろう。
余裕があって、やる事が特定の国家に喧嘩を売るというモノだ。
神が慈善事業をしなさいというのは、不買運動などという余計な生き方をしないようにするためだろう。

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