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常識のマッチポンプ 価値観の自作自演 洗脳はゴリ押し 貧者は助け被害者は助けない

1、エセ人格者
サタンが人格者をでっち上げるのは、神と比べて見劣りさせて、人々を騙して、神から離れさせるため。
創作とか、エセ宗教などで、人格者を作って、人々に刷り込んで、常識化させて、神と接した時に見劣りさせるための策略である。
こうすれば、人々は、神と人格者を勝手に比較して、神を嫌って、神から離れて、地獄へ落ちてしまう。
サタンの目的は、人々を地獄へ道連れにする事だから、創作物などで人格者を作って、価値観を捻じ曲げる。
幼児アニメから既に、そういう人格者のキャラクターを刷り込ませて洗脳している。
エセ宗教でも、そういう人格者のような司祭が存在するだろう。
こういう人格者の司祭も、人々を騙すための策略である。
上っ面だけの人格者を崇めるのも偶像崇拝になる。
そのサタン側がでっち上げた人格者も、所詮はエセ人格者である。
人格などという概念は、でっち上げられたものだと思った方がいい。
生まれ付きの人格者なんか存在していても、息苦しいだけ。
後天的に、天の主に立ち帰ったから、神の命令で、心はともかく、神の信者として振る舞うなら、割と気軽に付き合いやすい。

2、前提洗脳
幼児アニメなどで人格者のイメージを洗脳する。
そのイメージに沿って人格者の演技をさせる。
そのエセ人格者に人々をミスリードさせる。
この手順は、常識のマッチポンプと言える。
自作自演、ソースロンダリング、価値観のマッチポンプ。
ある意味では、催眠術だ。
常識を変造する。
聖書でも、催眠術は禁止にされている。

3、洗脳はゴリ押し
洗脳はゴリ押しである。
巧みな話術で洗脳するのではない。
今の洗脳は、国家を丸ごと支配して、特定の価値観をそれとなく刷り込ませる方法になっている。
昔は、莫大な経済力とエネルギーが存在しなかったから、仕方なく暴力で脅して屈服させるしかなかった。この時は、洗脳する余力がない。
今は莫大なエネルギーがあるから、幼児アニメや学校の段階から洗脳する経済力が手に入ったから、地獄へ道連れする手口が相互監視に変わった。
暴力で抑圧するのでは、手間は多いし、暴力革命に権力者が怯えないといけなくなる。
洗脳して相互監視させれば、手間が掛からないし、リスクも少なくなる。
相互監視と五人組と連座制で地獄へ道連れにする。

4、貧乏人だけ助ける
大事な事だから、何回でも書く。
被害者を助けるのではなく、貧乏人だけ助ける。
被害者に対する当たりの強さも、聖書から解釈したから。
聖書では、貧乏人を助けろとは書いてあるけど、被害者を助けろなんて書いていない。
何故なら、被害者を助けなくても、貧乏人を助ければ、十分にフォローは可能だからだ。
被害者だろうと金持ちを助ける必要はない。
被害者を助けると、被害者になりたがる。
被害者を助けると、加害者が被害者になりすます。
被害を捏造する人間が出てくる。
被害を捏造する人間がそこらへんに存在する。
被害者になれば特別扱いされるから、無防備になる。
被害者になれば特別扱いされるから、加害に抵抗しなくなる。
抵抗しないと損だけするなら、加害に対して本気で抵抗するけど、何か得をする雰囲気があると無防備になる。
なんなら、子供を乞食にして、手足を切り落として同情を誘って、金をたくさん出させようとする毒親のような人間も出てくる。
わざと、子供を事故の被害に遭わせて、金を脅し取る毒親が出てくる。
自殺者をかまうと、かまわれたい人間が自殺するから、かまって助長してはいけない。
聖書で、弱者や被害者を助けろなんて書かないで、貧乏人を助けろと書いているのは、これらの危険が存在すると天の主が見破っているからだ。

5、態度
態度は関係なく、貧乏なら助ける。殊勝な態度や大きな態度に関係なく、貧乏なら助けるから、礼儀なんかしなくていい。
聖書は、礼儀の有る無しで助けるか助けないか決めろなんて書いてない。

この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。

申命記 15章11節 新共同訳

神が「貧乏人は居なくならない」と言っているから、世の中から貧乏人は居なくならない。
居なくならないから助けなくていい理由にはならない。
助ける行為を神が査定している。
天国への入国審査として審査している。

6、庇ってはならない
しかし、貧乏人の犯罪を庇ってはならない、と書いてある。

旧約聖書:出エジプト記:23章:3節
また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。
旧約聖書:出エジプト記:23章:6節
あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。
旧約聖書:レビ記:19章:15節
さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。

7、貧者だけ
聖書では、貧者だけ助ければいいと書いているのに、被害者や弱者を援助させようとサタン側が常識を捻じ曲げてくる。
貧者だけ助ければ、貧乏になる被害者や弱者は十分に救助できる。
江戸の火事でも、破壊消火では、補償はしない。
補償すると、補償金が欲しくて火付けをする人間が出てくる。
引越しをするついでに、補償金をかすめとってやろうと企む人間が出る。
だから、被害者を救済するのは間違いである。
被害者なら、精神的苦痛で貧乏になるだろうから、貧乏になった時だけ助ければいい。
被害者や弱者を救おうとするエセ人格者は、サタン側の仕込みである。

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