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エセ勇気

1、勇気がない人
報復がなければ軽口をたたくような人間は、犯罪者だから近づかない。
報酬のあるモノだけ読書するような人間は、モノの役に立たない。
聖書を読まないで口出しをするような人間は、利害しか頭にない。
報復・報酬・利害で物事を決める人間は、勇気がない。

偽ユダヤすら判らない人間になるのは、報復の有る無しでやるかやらないかを判断するから、マスコミや半端な発信者によくある。
俺も昔は判らなかったけど、聖書を読みだして一年も掛からないで気が付いた。
マスコミは聖書を読む能力がないのか、単に臆病で収入を失いたくないだけなのか。

2、聖書の勇気
勇気を持てと聖書に書かれている。
「恐れてはならない」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
「おののいてはならない」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
「雄々しく」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)

聖書を読んで勇気を持てば完成する。
聖書を読めば判る事すら判らないから、読む必要性に気付かないのか、読む能力がないのか、読んでも真実が言えない臆病か。
臆病では、本を読む意味がないけど、聖書を読めば勇気が身に付く。
聖書以外で、勇気を何十回も書く本はあるだろうか。

3、エセ勇気
勇気とは何か。
エセ勇気とは何か。
臆病とは何か。
臆病は、ある程度は判りやすい。
しかし、エセ勇気となると、どんなものだろうか。
勝てる相手とだけ戦うのがエセ勇気だろうか。
最近の発信者も、勝てる相手にだけ暴力を振るうのが存在する。
勝てる相手だけ、よりも問題なのは、自己顕示欲に負けたのが臆病だ。
人間が考える勇気は、全てエセ勇気だ。
本当の勇気は、聖書の中だけにある。

4、本当の勇気
聖書を読むと、100%殺される戦いでも反撃して殉教する。
1%でも勝てる確率があると、殉教をするのではなくて、勝てるから戦う事になるから、天の主に殉教していない。
殉教するのが神への愛の証拠となる。
聖書を読むと、こういう心境になる。
これが本当の勇気である。

5、なぜ
なぜ、勇気を偽装するのだろう。
なぜ、勇者を偽装するのだろう。
自己顕示欲とか自己陶酔とか万能感とか、そういうモノだろうか。
別に、無宗教の人間から見て、自分が勇者と思われなくてもいいじゃないと思うけど、勇者と思われたい人は考え方が違うのか。
誰からでも良いから、自分が勇者と思われたいのだろうか。
信念や信仰心がないと、誰からの評価でも気になるのだろう。
世間など無宗教の集団なのだから、無宗教の人たちからの評判なんか、天国に入るのに何の役にも立たない。

6、勇者コンプレックス
こういうエセ勇気の人間は、勇者コンプレックスなのだろうか。
勇気が価値のある考え方をしているから、勇気のない自分にコンプレックスを抱いて、何か勇気があるように見える言動をしてしまう。
子供の頃から勇気をテーマにした作品を見すぎて、変な捻じれ方をしたのだろう。
聖書を読めば真の勇気が身に付く。
しかし、サタン側が妨害のために、エセ勇気を幼児アニメやテレビゲームなどで洗脳しているのは、気付いた方が良い。
エセ勇気を洗脳された人間は、エセ勇気をエセ勇気だと見破れない。
ディストピアに住む人は、自分がディストピアに居るのが判らない。
本当の勇気が何かを知るには、聖書を読む事だ。

7、真の勇気
真の勇気は、世間に迎合しない事、多数派に迎合しない事、金銭に惑わされない事、世俗的な名誉に惑わされない事、我が身可愛さで保身に走らない事。

新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:15節
にあるものとを、愛してはいけない。もし、を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。

本当の勇気は、他人の悪を糾弾する事ではない。
本当の勇気は、自分の中の悪心を自分で断罪する事だ。
この世の悪行は、全て自分の悪心から出発している。
この世の命令系統は、神➝人間➝サタン➝闇の勢力➝現地権力者になっている。
神は間違えないから、人間の悪心をサタンが読んで、闇の勢力に命令して、現地権力者に悪行を実行させている。
俺も昔は悪心があったから、それをサタンが読み取って、世の中の悪行を助長していたから、申し訳なかった。
全ての人が自分の悪心を自分で断罪したら、世の中の悪行が消滅する。
自分の悪心を断罪するのが本当の勇気である。

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