あの日も青空だった
12年前の今日、やっぱり青空でした。
もうすぐ休憩時間になるなぁ…と思いながら仕事をしていた金曜の午後、それは起きました。
私は工場内に居たのですが、当初は何が起きたのかよく分からず、ただ「地震だ」と思いながら仕事をしていたのですが、上長の「みんな外に出て」という怒鳴り声が聞こえて、運んでいた材料をその場に置いて出口に向かいました。
その途中、窓ガラスが割れていたりロッカーが倒れていたりとその状況を見て「結構大きな地震だったんだな」と、この時はまだその程度の認識で。
外に出て中庭の芝生でしばらく待機。
すると地面がボコボコと波打つような、沸騰した泡が湧き上がってくるような揺れを足元から感じて。
人生で初めての感覚に少し戸惑いつつ、当時始めたばかりのTwitterを開くと市内の状況がタイムラインに次々と流れて来て。
○○の交差点は信号が消えてる、○○街道は渋滞しているなど、停電による影響が出ていることが分かり、これはもしかしたら大変なことになってる?と感じました。
1時間ほど待機した後帰宅するよう指示が出て、いつもなら車で20分ほどの道のりを50分ほどかかって帰宅。
部屋の中は積んであった本やCDが散乱している程度で特に大きな被害は無かったんですけど、TVを付けて初めて、事の重大さが分かりました。
私が住む栃木県も被災した地域はありましたが、東北のその被害の大きさ、その惨状は言葉で言い表せないほどの衝撃でした。
次の週は工場の被害もあり、ラインが稼働出来ない状況だったため1週間の休みに。
その間にも津波の被害映像などが毎日流されるような中、その映像を見ることで心身に不調を来たす人が増えて、私は自分のホームページやSNSを通じてそのストレスを緩和してもらえるよう、テレビを消してそのつらさや苦しさ、不安をメールで送ってくださいとメッセージを発信し続けました。
何も出来ることが無いと思った中で、カウンセリングを学ぶ者としてその時に出来ることを…と、その活動を始めたところ、日に数人の方からメールが送られて来て、それらの方が少しでもココロを楽にしてもらえるようメールで対話を重ねました。
そこで感じたことは、やっぱり人間のチカラなんてちっぽけなモノで、自然の脅威には敵わないということでした。
どれだけ技術が進歩しようと地震によって、津波によって、或いは火山の噴火や台風など、起こってしまえば多くの命が失われ、それまでの営みが一変してしまう。
起きた直後はそのことをしっかりと考え、備えることをするのですが時間が経つに連れてその記憶は薄れ、やがて何もなかったかのように過ごしてしまう。
私もそうです。
震災直後は枕元に懐中電灯、スマホを置いて、ベッドサイドに靴を置いて、としていましたが、今は…
我が身を省み、日々をいつも通りに過ごせることは「当たり前ではない」事を思い出し、失われた命にココロを寄せ、被災しながらもこの12年をたくましく生きて来られた方々に敬意を表し、そしてこの日を忘れないという想いを新たにする。
今日という一日はそんな日にしようと思います。
頂いたサポートはカウンセリング普及活動などに使わせて頂きます