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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[155]メナヒム兄弟が勇名を馳せたジュンガル門

第6章 北の鉄窯を巡る旅
第9節 アルタイを越える

[155] ■5話 メナヒム兄弟が勇名を馳せたジュンガル門
 前を行くエレグゼンが振り向いて言った。
「いま渡ろうとしているこの一帯だが……」
「ジュンガル盆地のことか?」
「ああ……。そのジュンガル盆地は、夏はいまよりもさらに暑く、しかし、冬は寒い。雪も積もる」
 エレグゼンが神妙な顔をして語り出した。ナオトはシルを促して並び掛けた。
「この盆地を幾日か掛けて西の外れまで行くとアラタウ峠に出る。両側に岩山が迫っているその狭い通り道は、まるで王が入城するときの門のようなのでジュンガル門というそうだ。
 イリ盆地はその南にある。お前が行ってみたいと言っているソグディアナはイリ盆地のなお西の先だ。
 イリに出るには、アラタウ峠に差し掛かる前にエビノールという大きな湖があるので、それが見えてきたら西に折れて南の山を越えればいい。イリに行くのに、ジュンガル門は通らずにすむということだ。
 イリ川まで下りたら、そこはもうイリ盆地だ。川沿いに西に向かえばいい。その道は、烏孫の騎馬隊がよく使う。とうげ道がいくつもあって厄介だと吾れらはよく聞かされる。
 しかし昔から、騎兵の大きな部隊をカザフの草原とジュンガル盆地やその東のモンゴル高原との間で動かすときにはジュンガル門を通る道を使ってきた。
 そこで、東側で守ろうとする部隊は、峠道だけではなく、門のこちら側にも備えを置く。敵兵が見えたら烽火のろしを上げて援軍を呼ぶというのが役目だ。西からジュンガル盆地に攻め込もうとするのを防ぐのは難しいのだ。
 十五年前、その門の備えを任された吾れの父とメナヒム伯父たちは、そのジュンガル門を急襲してきた烏孫ウソンの騎馬隊数百を相手に戦った。父とバフティヤールの実の父親はその戦いで命を落としたのだ。父は二十八歳だった。
 先頭を切って烏孫に戦いを挑んだ父と、父の後ろに従って敵の矢に倒れたバフティヤールの父の戦いぶりと壮絶な死に様を、わずかに生き残った兵らが周りに語った。
 メナヒム伯父は、しかし、『バフティヤールの父は手練てだれで、矢など剣で弾いてみすみす受けはしない。仲間を助けようとして体勢を崩したところを狙われたのだ。あのとき、助け起こそうと馬から身を乗り出して手を差し伸べた相手はこのわしだ』と話してくれたことがある。あろうことか伯父は、肝腎なところで落馬したのだ。
 戦いは、狭い通り道を活かして烏孫兵を門のこちら側にある水辺に誘い込み、それを戦いの前に伯父が崖の上に配してあった射手の弓矢で防ぎ、援軍が間に合って匈奴が勝利した。『いつもは強い風が吹いて悩まされるのに、不思議とあのときだけは止んで、弓で狙えた』とバトゥが話してくれたことがある。
 あそこを破られればジュンガル盆地全体が危うかった。数の上では圧倒的な差があった烏孫本体の先鋒を防いだ数十の匈奴騎兵の活躍は、その直後に地位に就いた新しい単于の耳に届いた。それが伯父のその後を決めた。
 メナヒム伯父は、いまでもあのときのことを悔やんでいる。弟やバフティヤールの父を死なせたのは自分だと思っているのだ。幼かった吾れを戦士にはしないと決めたのはそのためだと思う」

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