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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[011]北限の海に昇る陽

第1章 西の海を渡る 
第4節 三つの海境うみざかい

[011] ■3話 北限の海に昇る陽
 翌朝、カケルは昇る日と競うようにして起きた。
 ――急がないと明けてしまう。
 ぐずるシタゴウをどうにか起こし、舟を改めた後で、足元を確かめながら岸に沿って北に進み、東の森へと分け入った。
 登った小山を下り掛けたとき、海が見えた。日は、東の彼方かなた、大きな海原から昇ってきた。
「おおっ!」
 二人は、思わず抱き合った。
「やはりここが、北の島の、その北の果てだ!」
 そのとき、ふと、真北の方角に目を向けると、そこにわずかに陸地が見えた。
「おい、シタゴウ。あれを見ろ」
 した彼方かなたに、確かに陸が見える。
 ようやく寝ぼけが取れてきたシタゴウは、言われた方角に目をって、何かあきらめたような声音で呟いた。
「……そして、その北にはまた別のおかがある。その陸からは、オオワシですら南を指して帰る」
 互いを納得させて、そこに見えている二つ目の海境を渡るのはあきらめ、ここで引き返そうと決めた。北には、きっとその土を踏もうと目指してきた陸地おかが見えている。二人に、何かを成し遂げたという感じはなかった。
 そのとき、死期を悟った老人のような口ぶりでシタゴウが言った。
「カケル、お前が生き延びたら、北に見えるあのもう一つの陸にきっと渡ってくれ……」
「何を言う。行くときは一緒だ。このたびは、いろいろとわかったことがある。次はもっとうまく運ぶ」
「そうだな。一緒にまた来るか……」
「おお、また来よう」

 越えてきた海を引き返すだけのことなのに、それがどれほどの難事になるかは、象潟きさがた育ちの若者二人には想像もつかなかった。
 途中、水や食料を補給できるみなとはない。それになによりも、ここまでの航海から、二人の身体は自分たちが考えているよりもはるかに衰弱していた。
 風向きは不安定になった。潮に逆らって南に漕ぐなど、とても無理だった。帆の麻布は破れ掛けており、横に渡した綱を縫い留めたところがほころんで、帆は使い物にならないほどにじていた。
 ――もっと早く、引き返すべきだった……。
 カケルたちは、舟を捨てて、日と星、山並みと島影とを目当てに、陸路、北の島を南に下ると決めた。その日一日、浜の岩陰で火を焚いて休み、残った食料を小分けにして帆の切れ端で包むなどしながら夜明けを待った。
 日が昇ったと見ると立ち上がり、腰に犬の毛皮を巻いて、それを留めた綱に竹筒の水吞みづのみとわずかな身の回りのものをはさんだ。他に使えそうなものはないかと焚火たきび近くを見回す。
 持って行こうと決めたものを裂いた麻布の帆でくるんではしを綱で結い、肩に斜めに掛けて歩き出した。カケルはそのうえに、巻いた手綱を斜交はすかいに掛けている。
 時季を過ぎて筋張すじばったフキを採り、掘ったユリ根を焼いて口にしながら、海辺から離れ過ぎないようにして進んだ。そしてほどなく、海に潜む危うさと、おかを行く危うさとは全く別のものだと思い知らされた。
 北の島人に助けられてどうにか厳しい冬を越し、一人、やっとの思いで南の端のわたりまで辿たどり着いたのは、雪が解け、一気に咲いた島中の花々が早くも散りはじめるかという頃だった。

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